ラッフルズ卿上陸地点Sir Raffles Landing Site (2006年11月10日撮影)

  シンガポールをイギリス植民地として開発したスタンフォード ・ ラッフルズ 卿(Thomas Stamford Raffles,1781年7月6日-1826年7月5日; British East India Company、Bencoolen の副総督)が1819年1月28日に初めてシンガプーラSingapura(「ライオンの町Lion City」を意味するサンスクリット語)のこの地に上陸した。
  ラッフルズはシンガポールの実効支配を進めていったが、これに反対するオランダとの間で外交交渉が行われ、1824年3月17日ロンドンで英蘭協約が結ばれ、アジアにおける両国の勢力範囲が確定した。オランダはインド・マレー半島の商館・領土等を放棄し、イギリスはスマトラ島の領土・商館等を放棄した。これによってマラッカ海峡を境界線とする両国の勢力範囲が確定した。1824年8月イギリス東インド会社はジョホールのフサイン・モハマド・シャー国王からこの島を買収した。その結果、シンガポールは1824年に正式にイギリス領となった。さらに1826年にシンガポールはペナンやマラッカとともにイギリス領インド所属の植民地となり、さらに、1832年には「海峡植民地」(〜1946年)としてまとめられた。
  その後、シンガポールは、1851年にインド総督の直轄植民地となり、1858年に(東インド会社の解散に伴って)インド省所管となり、さらに1867年4月1日にイギリス本国直轄植民地Crown Colonyとなった。
  シンガポールは、1942年2月日本軍に占領されたが、終戦後の1945年9月イギリス軍政下に置かれた。1946年3月イギリス軍政が終わり、海峡植民地が解散した。1946年4月1日イギリス直轄植民地となった。1963年マレーシアとともにマレーシア連邦形成したが、1965年分離独立してシンガポール共和国となった。
 

白い像はラッフルズ卿の像(1969年)。
  North Boat Quay沿い。背景に見えるのは Victoria Theatre and Concert Hallであるが、そのシアター部分は、1862年に、John Bennettの設計によって当時英国で流行していたビクトリア復古スタイルでTown Hallとして建てられた。
  また、そのホール部分Victoria Memorial Hall は、1901年に死去したビクトリア女王を追悼して海峡植民地知事ジョン・アンダーソン[1904/4/16-1911/9/2]によって建てられ、1905年10月18日にオープン。時計タワー部分は1年後の1906年に加えられた。1909年に名前がVictoria Theatreと変えられた。1979年に完全修復されて、Victoria Concert Hallと命名し直された。
  正面にはラッフルズ卿の銅がある。南にはラッフルズ卿の上陸地点がある。   


ラッフズル卿像の台座の銘文

 

”黒い”ラッフルズ卿の像
  建物の前庭の中央に見えるブロンズ製の黒い像はラッフルズ卿の像。ヴィクトリア女王[1819-1901年、在位1837-1901年]在位50周年の1887年に、ラファエル前派[1848年〜1853?年]の最初のメンバーの彫刻家Thomas Woolner()(1825-1892)が制作したオリジナルの像
  最初は国会議事堂前のパダンにあったが、ラッフルズのシンガポール上陸100周年の1919年にこの場所に移された。シンガポール川沿いSir Stamford Raffles Landing Siteにある白いラッフルズ像はこのオリジナル像の複製。バックの建物はビクトリア・コンサート・ホールおよびビクトリア・シアター。
  なお、ロンドンのテムズ川北岸の公園Victoria Embankment Gardens near Somerset HouseにあるJ・S・ミルの座像(ブロンズ製)も同じThomas Woolnerの最も有名な作品(1879年)。

2006年11月10日撮影