第2章 明治から昭和初期における米の現物および先物相場の動き
桃山学院大学経済学部
竹歳 一紀
1.分析の目的と方法
本章では,明治中期から昭和初期までの時期における、米価の水準および変動の様子を、現物価格と先物価格の間の関係にも注目しながら分析する。この際、後に述べるように全体を四つの時期に分け、各時期における米政策や全体的な経済動向と対照してみていくことにより、これらと米価の水準や変動との相互関係が明らかになると考えられる。こうした分析を通し、米が統制下に入る前の時代における米先物市場の働きや先物市場と現物市場との関連性、経済情勢がそれらに及ぼす影響などを明らかにしていくことが、最終的な目的となる。
よく知られているように、江戸時代、大坂は諸藩からの米の集散地であり、取引が行われていた堂島米市場では、世界で最も早く商品先物市場が成立していた。この、江戸時代における堂島米市場に関しては、宮本又郎『近世日本の市場経済』の詳細な研究をはじめ、市場の効率性に関する伊藤隆敏「18世紀、堂島の米先物市場の効率性について」や、脇田成「近世大阪堂島米先物市場における合理的期待の成立」などの計量経済学的分析がある。
明治になってからは、米の取引も次第に東京へ中心を移していくことになるが、明治以後の米市場に関して、先物市場も視野に入れた数量的な分析は多くない。しかし、この時期は後に述べるように、日本の資本主義経済が発達を始めた時期であり、中央集権体制になった政府がさまざまな米政策をとっていった時期でもある。それゆえ、経済情勢や米政策と米価との相互関係を分析するにはこの時期に着目する必要がある。
本章で分析しようとしている時期の、先物市場を含めた米市場のデータをまとめたものはいくつかあるが、その中からここでは、中沢弁次郎『日本米価変動史』によることにした。この著作は有史以来の米価の変遷をその時々の政治経済社会情勢とともに整理した労作である。対象となる期間については、東京市場における月次正米(現物)価格と月次限月別定期米(先物)価格、大阪市場における月次限月別定期米(先物)価格が得られる。
このように、利用できるデータは月次データであるために、先物市場の効率性の検証といった厳密な計量分析には不向きであるが、ここでの分析はそれよりも、約半世紀の間の社会経済情勢および政策の変化と米価との間の対応という大きな流れをみることに主眼をおく。なお、データに関するこれ以上の詳細は、分析の中で適宜述べることにする。
2.時期区分と各時期における米政策
本章での分析は明治11(1878)年から昭和7(1932)年までを対象とする。これは、中沢『日本米価変動史』で限月別の月次先物価格が得られる期間である。これを、米政策の内容により4期間に分けた。各期間の社会経済情勢や、米政策について簡単にまとめると以下のようになる。なお、米政策については主に、日本学術振興会学術部第六小委員会報告『米穀統制政策と米穀取引所の機能』を参考にした。
1)第一期(明治11年〜明治15年)
明治政府は、維新後の政治的経済的混乱に伴う米の投機的取引を防止するため、明治2年に大阪堂島の米会所を閉鎖させ、米の空取引を禁止した。しかし、これがかえって闇相場の成立や米価の乱高下を招き、結局明治4年には再び堂島米会所が開業した。その後政府は、政府自身の手による計画的な米価調節を行うべく、明治8年に貯蓄米条令を発布した。これは、毎年東京に10万石、大阪に5万石の米を貯蓄し、この売買によって価格を調節しようとするものである。明治11年には、常平局が開設され、貯蓄米の石数を増加させて業務を引き継いだ。さらに明治13年には、備荒儲蓄法が制定され、凶作時に備えての備蓄の役割も同時に果たすこととなった。
しかし、当初の趣旨であった米価の安定に対しては、米価に影響を与えるほどの売買を行う資金を持っていなかったこともあり、また、この時期の米価高騰が通貨膨張によるものであったということから、あまり効果がなかった。最終的に、300万円の資本金も使い果たし、明治15年に常平局は廃止され、米価調節のための政府による米の売買は行われなくなった。
2)第二期(明治16年〜明治42年)
明治15年11月に常平局が廃止された後は、政府による米価への積極的な介入政策は採られず、備荒貯蓄または通貨吸収のためにわずかに売買されたのみで、ほぼ自由放任状態となった。この間、明治23年の凶作時に、外米の輸入払い下げ、および定期米取引における外米の代用によって米価引き下げを図った程度であった。
3)第三期(明治43年〜大正9年)
明治43年は、8月に関東・東北地方、9月に関西・九州地方が大水害に見舞われ、米価が急騰した年である。この年を境に、それまでの比較的米価の安定した時期から、後でみるように、米価大変動の時期となる。これに対して政府は、それまでの自由放任から、積極的に米市場に介入せざるを得なくなる。また、この年は韓国が併合された年でもある。
明治43年から大正2年まで続く米価高騰期には、米価抑制のため政府はいくつかの政策を実施した。明治45年には定期米市場における台鮮米(台湾、朝鮮産米)の代用を認める一方で、正米市場においては延取引を禁止した。また、同じく明治45年には米及び籾の輸入税低減、大正2年には朝鮮米移入税の廃止が実施された。
これに対し、米価は大正3年になって暴落し、政府は米価引き上げ策をとる必要に迫られた。このような情勢の中で大正3年には、米価調節令を公布し、米価調節のため必要に応じて政府が米の買い入れ売り渡しを行うことを定めた。大正5年後半には、早くも第一次世界大戦に伴う好景気により米価が上昇し、再び米価抑制政策をとらなければならなくなった。この米価高騰は、政府保有米の売り渡し程度では抑えることはできず、大正7年には米騒動が起こった。その後も、輸出制限、外国米の買い入れなど政府の様々な政策にもかかわらず、米価は騰貴していった。この状況は、大正8年に第一次世界大戦が終結したことによる、大正9年の株式市場の大暴落を境に一変した。米価も株価に引き続いて暴落し、政府は一転して米価維持政策をとらなければならなくなった。こうした情勢下で、大正10年には米穀法が発布されたのである。
4)第四期(大正10年〜昭和7年)
このように米価が大きく変動し、需給が不安定になったことをうけて、政府は大正10年に米穀法を定め、米の統制に乗り出した。この第一の目的は、政府が必要に応じて買い入れ、貯蔵、売り渡しを行うことにより、米の需給調節を図ることであった。また、当初は価格調節の目的は明示されていなかったが、大正14年の改正により、価格調節も目的として明示的に示されるようになった。
米穀法により、政府は米価高騰時には保有米を売り渡し、下落時には買い入れを行うのであるが、この売り渡し、買い入れの発動には法的根拠がなく、まったく政府の恣意によるものであった。そのため、いつ発動されるかわからないことがかえって需給を不安定化するといった理由から、昭和6年には米穀法を改正し、米穀生産費、家計費および米価指数の物価指数に対する割合の趨勢により算出した率勢米価を基にした最低価格・最高価格を超えたときのみ政府が買い入れ売り渡しを行うこととした。
しかし、実際には、この率勢米価の上下2割として決められた最高・最低価格を超える年は少なく、中でも最低価格を下回った年は昭和5年のみであった。すなわち、この米穀法発動によって低米価を救済することはできず、結局昭和8年には、生産費、生計費および物価を基準として最高・最低価格を決定し、米価がこれを上回ったり下回ったりした場合には政府は無制限に買い入れ売り渡しを行うとした、米穀統制法が成立することになり、本格的な米の統制時代に入るのである。
3.米価の推移と変動の大きさ
1)価格データについて
第1節でも述べたように、本章の分析には『日本米価変動史』に収録されているデータを用いる。この価格データはすべて、一石当たりの月別平均価格となっている。現物価格である東京正米相場は、時期によって出典が異なる(詳細は『日本米価変動史』参照のこと)。著者の中沢氏が、資料の有無なども考慮しつつ、最も代表的なものを選んでいるものと考える。先物価格である定期米相場には、当時の米先物市場が3カ月を期限としていたので、先限(翌々月限)、中限(翌月限)、当限(当月限)の三つの価格がある。この出典は、明治初期には東京府統計書掲載の蛎殻町定期米市場の数字、それ以降は東京米穀取引所成立相場となっている。
大阪市場での定期米相場にも同様に、先限、中限、当限の三つの価格があるが、これは明治期は「堂島米穀取引所沿革」、それ以降は堂島米穀取引所の報告に基づいて著者が整理したものが出典となっている。ただし、これら定期米相場がどのような種類の米についてのものか、中米か下米か台鮮米かは、その時々の政策によって若干異なっていることに注意が必要である。すなわち、米価高騰時は外米、台鮮米の代用により米相場を少しでも引き下げようとした政策がとられたことは、前節で述べたとおりである。
2)正米相場の推移
東京正米相場の月別平均価格に対して次のような方法で季節調整を施した。まず、該当月+前5カ月+後6カ月の計12カ月の合計を順にとり、次にその合計をとなりあう2カ月分毎に合計する。最後にそれを24で割る。こうして算出された季節調整済み系列を全期間を通してプロットしたものが、図1である。これを見ると、明治13年末まで上昇した米価は明治17年半ばにかけて下落していき、その後、小刻みに変動しながら、趨勢的に上昇している。第三期とした明治43年から大正9年の間は、この図からも米価が大きく変動していることがわかる。まず、大正2年にかけて上昇し、その後下落、再び大正8年にかけて急上昇し、同10年にかけて大暴落している。そして、大正14年にかけて米価は回復するものの、その後は昭和恐慌期となり下落の一途をたどっている。最終的に、米価は明治末年の水準まで下落している。このように、分析対象期間における米価は、比較的平穏で趨勢的に上昇していった明治後半、大きく上昇し、かつ大きく変動した大正期、下落の一途をたどった昭和初期、というように特徴づけることができる。
3)各期における米価の変動係数
次に、前節で示したような時期区分に従い、正米、定期米(以下、期米と略する)それぞれについて、平均、標準偏差、変動係数を求め、各時期における米価の変動の大きさを統計的に示したのが、表1〜7である。まず各期間別に見ると、正米、期米、東京、大阪いずれをみても、第三期(明治43年〜大正9年)における変動係数が最も高くなっており、次いで、第二期(明治16年〜明治42年)、第四期(大正10年〜昭和7年)、第一期(明治11年〜明治15年)の順となっている。既に述べた第三期における米価の大変動は、このように数字の上でもはっきり表れている。また、第四期には、米価水準そのものは大きく下落するという変化があったが、大正末年からほぼ一方的に下落しており、変動に関しては大きくなかったといえる。むしろ、米価水準の上昇が緩やかであった第二期の方が小刻みな上下の変動が多く、この結果変動係数が高くなっていると見ることができる。
正米、期米別に見ると、第二期では変動係数にほとんど差がないのに対して、第三期になると、東京では、正米、当限、中限、先限、大阪でも当限、中限、先限の順に変動係数が大きくなっている。第四期には、東京では正米、先限、当限、中限の順、大阪では当限、中限、先限の順となっているが、あまり大きな差ではない。価格変動の大きかった第三期において、最も変動が激しかったのが、先物価格ではなく現物価格であったことには留意すべきであろう。期近の先物価格ほど変動が大きいことは、先物価格に関するサミュエルソン効果とよばれている(ダレル=ダルフィー『フューチャーズマーケット』)。これは、受渡日が近いほど受渡日における現物価格の内容が素早く入手できることが背景にある。第三期では、現物価格の変動が大きく、このような現象が顕著に現れたものと考えられる。
東京市場と大阪市場とを比較すると、第三期を除いて、当限、中限、先限いずれの期米価格とも、東京市場の方が変動係数が大きくなっている。また、平均価格は大阪の方が常に低い。この背景には、東京市場が大阪市場よりも優位性を持ち、取引が活発に行われたことがあると考えられる。
4.米価の季節変動
1)SI指数による比較
米価の季節変動の様子を見るために、以下のような作業を行った。はじめに、図1に用いたような季節調整済み系列を、他の価格についても作成する。次に、季節調整を行う以前のもとの数値を、季節調整済みの数値で割り、SI指数を求める(森田優三・久次智雄『新統計概論』)。そして、求めたSI指数をそれぞれの期間毎に月別に平均値をとって図にしたものが、図2〜11である。このSI指数が1よりも大きければ、季節的に高値であり、反対に1より小さければ、季節的に安値をつけているということができる。
まず、全期間について見ると、正米価格、期米価格とも、収穫前の夏場に高く、収穫後の秋から冬にかけて安いという、米生産の季節性に従った価格変動パターンを描いている(図2、3)。しかし、これを期間別に見ると、やや様子が異なる。第一期については、期間が短く、欠損値も比較的多かったので、あまり正確なことは言えないが、秋の収穫後も価格が高くなっている(図4、5)。第二期は比較的季節性がはっきりしており、7月、8月に高く、収穫期以後冬場に安くなり、春先からまた価格が上昇するというパターンである(図6、7)。第三期は、正米価格は同じように夏場に高く、冬場に安いというパターンであるが、期米価格は、9月に安くなった後上昇していき、年末年始に高くなるというパターンを、東京市場では描いている(図8)。また大阪市場では、期米価格が春に高くなるという傾向を示している(図9)。これは、期米市場に資金が流入し、投機的な取引が活発化したことにより、現物価格の季節性との連関が弱まったことによるものではないかと思われる。第四期は、再び本来の季節変動にもどっているが、夏場の価格高の山がなだらかになっている(図10、11)。これには、米穀法に基づく政府の管理もある程度影響していることが考えられる。
東京市場において正米価格と期米価格の季節変動を比較すると、期米価格の季節変動は正米価格の季節変動を相殺する動きを示している、すなわち正米価格が高い季節には、期米価格は相対的に安く、正米価格が安い季節には期米価格は相対的に高いという傾向が見られる。この結果、全体的に見ると、正米価格の季節変動に比べて、期米価格の季節変動の方が緩やかであるといえる。これは、先ほど述べたサミュエルソン効果が働いていることによるといえる。ただし、第三期については、9月における期米価格の下落が大きく、12月、1月の上昇が大きいために、必ずしも期米価格のほうが季節変動が緩やかであるとはいえない。これは、前節における変動係数の比較から言えることと若干矛盾するが、こちらのほうは、季節変動に関してのみとりあげているのに対し、変動係数の中には趨勢的変動も含まれていることが違いとなって表れているものと思われる。
期間別に見た季節変動の大きさ自体に関しては、価格水準が大きく変動した第三期はかえって小さく、第一期を除けば、最も大きいのが第四期、次いで第二期となっている。第三期における価格変動は、季節性とは関係が小さいものであったといえる。また、東京市場と大阪市場とを比較すると、第二期、第四期では、大阪市場の方が夏場の価格高の山が急である。第三期では、大阪市場の方が春先に高いという傾向がはっきり表れている。全体的に、大阪市場の方がはっきりした季節変動を示しているということができる。
ここでは、正米価格と期米価格の関連性を見るのに、その差として定義されるベーシス(basis)に着目する。一般に、先物価格の均衡価格は次のように表される(宇佐美洋『先物とオプションの世界』)。
Ftm = St + c +μ ただし、c = C−
YFtm:
St: tにおける現物価格
c:純持ち越し費用
C:総持ち越し費用(金利、保険料、倉庫料、積み出し料など、実物を在庫として持つ費用)
Y:実物を在庫として持つ便益
μ:取引費用を含むその他の市場要因
そこで、ベーシスは次のように定義される。
Bt = Ftm−St
= C−Y+μ
ベーシスは最終的に受渡日には0になるはずであるが、それ以外は、C、Y、μといった要因により、正負いずれにもなり得る。貴金属などでは、Yがほとんどなく、実物市場での流通も季節に関係なく豊富であるため主な純持ち越し費用は金利だけとなる。そのためベーシスは常に正となる(順鞘あるいはコンタンゴという)。これに対して、農産物や銅・アルミなど輸送に手間取る商品で実物市場における需給が逼迫している際には、ベーシスは負になる(逆鞘あるいはバックワーディションという)。これは、そのような場合には実物を在庫で持つことの便益Yが大きくなるからである。
上記のように定義されるベーシスがどのように推移していったかを見ることにする。まず、東京市場における季節調整済の期米価格(当限)と正米価格との差(ベーシス)をとり、これと季節調整済み正米価格をあわせて図にしたものが、図12である(欠損値が少ないという理由で当限の期米価格をとったが、中限、先限価格でもほぼ同じ動きを示す)。ここから読み取れることは、まず、ベーシスが大きく正になることはないのに対し、しばしば大きく負になっている。これは、先ほど述べたように、米という商品の、季節性、輸送の利便性などの性質から、実物を在庫で持つことの便益が大きいためと考えられる。そして、ベーシスが大きく負になっている時期には、正米価格が急騰している。この理由としては、実物市場逼迫によるYの増大の他に、インフレによる実質金利の低下が、持ち越し費用Cの低下をもたらしたことが考えられる。ちなみに、この二つの価格の相関係数は、−0.48となっている。
次に、各期間毎にベーシスが正の月と負の月がそれぞれどのくらいの比率であるかを計算した結果が、表8である。まず第三期においては、当限価格と正米価格の差、中限価格と正米価格の差、先限価格と正米価格との差のいずれも、負である月の方が多く、その比率が最も高くなっている。すなわち、第三期においては、現物価格に比べて先物価格が低い月が多かったということができる。これは、上述のように、実物市場逼迫による在庫持ち越し便益の増大と、インフレによる持ち越し費用の低下によるものと考えられる。価格が高騰した時期には先物価格がそれをあおるかのような印象を持ちがちであるが、事実はこれと違うことに注目したい。もっとも、先物取引に対して、台湾・朝鮮産米を代用させるなどの価格抑制政策がとられたことの効果もあるものと思われる。
第四期には、第三期とは逆に、ベーシスがいずれも正である月の方が多くなっている。価格が下落傾向にある時期には先物価格の方が現物価格よりも高い月が多いということができるが、これは先ほどとは逆に、現物市場の需給緩和による在庫持ち越し便益の減少と、デフレによる在庫持ち越し便益の増大によるものとして説明できる。第二期に関しては、当限価格と正米価格との間の差と、中限・先限価格と正米価格との間の差に違う傾向が見られるが、中限・先限価格に欠損値が多いため、ベーシスが負の月の方がやや多いという、当限価格と正米価格との差に見られる傾向の方が正しそうである。
また、限月の異なる先物価格の差(スプレッド)を見ても、限月が遠い先物価格の方が低い月は、明らかに第四期よりも第三期において多くなっている。これも、インフレによる相対的な金利安のために、在庫持ち越し費用が低下したためと考えられる。第四期には、その逆のことが起きたのである。
3)ベーシスの決定要因
ベーシスがどのような要因で決定されているかをもう少し詳しくみるために、東京市場における当限価格と正米価格の差、中限価格と正米価格の差、先限価格と正米価格との差それぞれに対して、以下の変数を用いて回帰分析を行った。
@需給条件
まず、需給条件として、前年における国内米消費量に対する国内米生産量の比率をとった。これが大きければ、基本的に、在庫が豊富で需給が緩んだ状態にあるといえる。反対に、需給が逼迫した状態では、在庫持ち越し便益が大きくなるため、ベーシスが小さくなる(あるいは負となる)と考えられる。消費量、生産量それぞれの数値は、価格データと同様に、『日本米価変動史』に掲載されているもので、出典は「農林省統計書」などである。ただし、消費量も生産量も年次データ(生産量に関しては米穀年度)であるので、12カ月間同じ値をとることになる。
A実質金利
前にも述べたように、実質金利の下落は在庫持ち越しの費用の低下、反対に実質金利の上昇は在庫持ち越し費用の上昇と考えられ、この場合にはベーシスが大きくなると考えられる。利子率のデータに関しても『日本米価変動史』に掲載されているものを使用した。出典は、「金融事項参考書」(大蔵省理財局)であるが、『日本米価変動史』に掲載されている数値の間隔は不定であり、例えば、1月の値が掲載されている場合もあり、2月と9月というように1年に2回掲載されている場合もあり、またまれに、掲載のない年もある。ここでは、利子率の値が掲載さている月から次に掲載されている月までは、同じ利子率が続いているものとした。より厳密な分析には、他の資料を参照することも必要かと思われる。また、実質金利を算出するためには、名目利子率から物価上昇率を差し引く必要があるが、物価上昇率については、同様に『日本米価変動史』に掲載の、明治元年を100とする物価指数(年次データ)から求めた。この出典は、明治大正史刊行会編『明治大正史』である。
B季節ダミー
@の需給条件には年次データを用いたため、当該年全体としての需給条件は反映するものの、その中での季節的な需給条件は反映されない。そこで、季節的な需給条件として、収穫前から収穫後の時期、すなわち7月から12月の各月に対してダミー変数を設定した。収穫前の時期には需給が締まり、ベーシスが小さくなることが考えられる。
回帰分析の結果は、表9〜13にまとめられているとおりである。表9は全期間を通じての結果であるが、やはり時期によってかなり違いがはっきり出ているので、時期別にみていくことにする。まず、第一期については(表10)、需給条件、実質金利共に推定係数はほとんど有意ではなく、季節ダミーについての推定係数が強く有意である。この時期のベーシスの大きさにはほぼ季節要因だけが影響していたとみることができる。ただし、11月、12月といった収穫後の季節においても、推定係数は負、つまりベーシスは小さくなる傾向にある。このことから、この時期における季節性は、需給関係からよりもむしろ、年末を控えての通貨供給増加などの要因からくるものであることが考えられる。
第二期には、需給条件についての推定係数が正で有意となっている(表11)。この時期は、需給が緩むことがベーシスを大きくする要因となっているといえる。実質金利に関しては、当限価格と正米価格の差についてのみ負で有意となっているが、その他については有意でない。また、季節ダミーについての係数はいずれも負と推定されているが、当限価格と正米価格の差および先限価格と正米価格の差に対して9月が有意、中限価格と正米価格の差および先限価格と正米価格の差に対して12月が有意となっている。全体としてモデルの当てはまりは悪く、R2(自由度修正済み決定係数)は0.1以下となっているが、F値でみるとモデル自体は有意といえる。
第三期では、需給条件および実質金利についての推定係数は正で強く有意となっている(表12)。そして、季節ダミーに関しては、いずれも9月が負で有意、先限価格と正米価格tの差に対してのみ8月も負で有意となっている。このことから、この時期のベーシスは、需給が緩むと大きく、また、実質金利が下がると小さくなるという、理論から期待されるとおりの動きがはっきり表れているといえる。季節性に関しても、収穫前の需給が締まった時期にベーシスが小さくなる傾向が見られる。
第四期になると、再び実質金利は説明力を失う(表13)。需給条件についてはいずれも正で有意となっており、また季節ダミーに関しては、中限価格と正米価格の差および先限価格と正米価格の差に対して、8月、9月、10月が有意となっている。モデルの説明力はあまり良くなく、当限価格と正米価格との差に対する回帰式は、F値からみるとモデル全体として有意ではない。
このように、インフレからデフレへと経済環境が大きく変動した時期には、実質金利がベーシスの大きな決定要因になっており、そうでない時期には実質金利は大きな決定要因とはならず、季節性も含めた需給条件が主なベーシスの決定要因となっているということができる。ただし、ここでの分析に用いたデータは二次データであり、金利や物価上昇率など、詳しくデータ収集したうえでさらに分析する必要があるかと思われる。また、回帰式の決定係数がそれほど大きくないことから、ベーシスの決定にはここであげた以外の要因が大きいと考えられる。例えば、在庫量や天候の予想、それによる将来の期待価格などが考えられる。こうした要因も取り入れると、より興味深い分析となるであろう。
6.おわりに
本章では、明治11年から昭和7年という時期を対象として、それを4つの時期に分け、それぞれの時期における米政策を概観したうえで、現物価格である正米価格、および先物価格である期米価格それぞれの変動の大きさとその推移、季節変動の特徴、先物価格と現物価格との差に関する特徴およびその決定要因などについて分析した。細かな内容については繰り返しになるので省略するが、この時期における大きな特徴は、やはり明治末期から大正前半にかけての好況・インフレ・米価高騰と、それ以後昭和初期に至る不況・デフレ・米価停滞に集約される。
本章での分析結果からいえる重要な点は、第一に、政府がいくつかの米価平準化政策をとったにも関わらず、基本的には、米価引き下げにも引き上げにも大きな効果はなく、米価も全体の経済情勢に支配されていたということである。すなわち、経済情勢から切り離して米価だけを買い入れ・売り渡しでコントロールすることは難しかったということができる。第二に、先物価格はほぼ現物価格と連動して動いており、変動は現物価格よりむしろ少なかったということである。先物市場だけが投機的な動きをしていたわけではなく、逆に現物価格の変動を相殺する働きもあったとみられる。もちろん、これには政府の取引所政策も影響したことも考えられる。第三に、先物価格と現物価格との間を関連づけている要因として、季節性も含めた需給条件の他に、特に経済変動が大きい時期において実質金利も大きな位置を占めていたということである。当然のことではあるが、米の現物市場も先物市場も、貨幣市場と無関係ではあり得なかったといえよう。
本章での分析には、『日本米価変動史』に掲載のデータを用いた。そのため、いくつか分析できなかった点がある。第一は、昭和8年以後の分析である。昭和8年には米穀統制法が公布されるが、割高な買い上げ価格の設定により、市場での米価は買い上げ価格に張りついた状態となり、政府買い上げ量は急増した。このため、米取引所はその扱い高が急減し、大きな打撃をうけた(前掲『米穀統制政策と米穀取引所の機能』参照)。こうして米の流通はそれまでの市場経済から、統制経済に入っていくのである。このことによる米価変動における変化は本章の分析に盛り込むことができなかった。第二に、本章の分析では価格変動だけに焦点をあて、現物市場、先物市場それぞれにおける取引量と価格との関係を分析することができなかった。第三に、日次あるいは週次データといった、もう少し間隔の短いデータを用いて、先物市場の効率性を検証するといったことができなかった。第四に、大阪市場における先物価格と現物価格との差についての分析を盛り込むことができなかった。これらの中には、部分的に分析可能であったが紙幅の都合で割愛したものもある。それも含め、上記の点について別の機会にあらためて実証分析をおこないたい。
〈参考文献〉
伊藤隆敏「18世紀、堂島の米先物市場の効率性について」『経済研究』第44巻第4号、平成5年
宇佐美洋『先物とオプションの世界』時事通信社、平成元年
ダレル=ダルフィー『フューチャーズマーケット』農林中金総合研究所訳、(社)金融財政事情研究会、平成6年
中沢弁次郎『日本米価変動史』柏書房、昭和40年(再刊)
日本学術振興会学術部第六小委員会報告『米穀統制政策と米穀取引所の機能』日本学術振興会、昭和11年
宮本又郎『近世日本の市場経済』有斐閣、昭和63年
森田優三・久次智雄『新統計概論(改訂版)』日本評論社、平成5年
脇田成「近世大阪堂島米先物市場における合理的期待の成立」『先物取引研究』第1巻第1号、平成7年