梅田旭屋で、『文春 Special -- 私の仕事・私の生き方』を立ち読み。「成人の労働」というタイトルの、実に明快な若者論(仕事論)を見つけた。著者は内田樹、どこかで聞いた名前だが思い出せない。Google で検索して『下流志向 -- 学ばない子供たち、働かない若者たち』の作者だと知る。Wikipedia によると、都立日比谷高校を品行不良にて退学後、大検を経て、東大仏文科から東京都立大学大学院中退。ニートを「やる気の無い若者」「共同体の為に働くという労働エートスを獲得出来なかった若者」とする発言をしておられるそうだ。
文章の内容を私なりに要約すると ---「大人」というものは、自分の個人的努力の成果を独占しない。自分の個人的の努力は、組織を向上させ仲間の幸せにつながるのだ。「大人」たるもの、そこに仕事の意味を見いださねばならない。しかるに現代の若者は、受験競争の弊害により、努力と成果のあいだに100%の相関を求める。「やりがい」を求めて離職・転職を繰り返す若者たちの多くは、個人的努力の成果を誰ともシェアせず独占できる仕事に就こうとする。こういう「子供」には「大人の仕事」の意味はわからない。--- まぁ、さしづめ私なんぞは、50を過ぎても「大人の仕事」の意味がわからないガキなんだなぁと苦笑い^^。
でも、こういう「若者論」は、どこか、問題の基本的な原因を看過して(というか、隠してしまって)いるような気がする。フリータが大量出現したのは90年代だが、若者の気質そのものが、たかだか20年あまりで急激に変化するとは考えにくい。右肩あがりの経済成長期には、無能な人間でも分不相応の仕事にありつけた。日本経済が長期停滞期に入ってからは(あるいは、長期停滞への移行期には)、相応に有能であっても相応の仕事につけない若者が急増した。で、そういう若者は「やる気を無くした」。これが問題の基本的な枠組みではないだろうか。だとしたら、「時代が変わったのだからオマエらは我慢せねばならないのだ」と説教をたれるより、もっと建設的な解決策を探ることが必要なのでは・・・。