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2008年04月26日

のだめベト七、精神性

HMV に注文していたイギリス弦楽小曲集が届いた。さっそく Apple TV に入れて、BGM で流してる。あぁ美しい^^。コッツウォルズの広大な風景が目に浮かぶ。またいつか、行きたいな(一週間でいいから^^)。

「のだめカンタービレ」のことをゼミ生に教わる。音楽家を志す青年たちを描いた人気TVドラマで、主題歌に使われたベートーヴェンの第七交響曲(ベト七)は、いまや若者の間でちょっとしたブームなのだそうだ。どおりで、こんなページがあるわけだ(ワタシもここ数十年来行ったことがありませんが、演奏会では私語厳禁、だそうです^^)。

というわけで、拙宅にあるベト七の CD 三枚を聞き比べ^^。まず、ジャクリーヌ・デュプレ の元旦那で、デュプレの闘病中に別の女に子供を産ませていたバレンボイムが、ベルリンの壁の開放記念コンサートにおいて、ユダヤ人であるという自らの宿命に感極まり凄絶なるフィナーレを演じたという、ライブ録音版。しかし、録音が悪いのか、なんだかやたらにウルさくて途中でイヤになる^^。そこで、ノリントン+ LCP の CD へ交換。でも小編成オケではやはり迫力不足は否めず、途中で飽きてきちゃった^^。というわけで、カラヤン+ BPO 。低音の重厚な響き、弦の解像度の高さと鮮やかな音色は70年代初頭の録音とは思えない。人によっては外連味たっぷり?ということなのかもしれんけど、随所で魅了して細部まで丁寧に聞かせてくれる。素人耳にも、カラヤンはやっぱり偉いと思うのだ(最近、NHK の趣味の番組で天野祐吉さんも絶賛してました^^)。

カラヤンといえば、日本には「カラヤンを好むのは素人、通はカラヤン嫌いでなくてはならぬ」という大方の了解があるようだ(現在はそうでもないのかも)。この了解を先導したのはどうやら宇野某という音楽評論家のようで、なんでも「カラヤンには精神性がない」からだそうである。「精神性」って、ナニそれ?
そもそも、「精神性」なんていう日本語はあるんだろうか。作曲家の意図、時代背景や指揮者の神髄とかそんなことを問題にしたいのなら、「精神 spirit 」と言うべきだろう。そうした「精神」を追求しようとする「傾向」とでも言いたいのかと思いきや、英和辞書で「精神性」を全文検索すると "spirituality" という単語が出てくる。そして英英辞書には spirituality: the quality of being interested in religion or religious matters とある。つまり、精神性とは信心深さ、敬虔さ、脱俗世の度合いといった意味なのだろう。どうでもいいような気もするけど、ほんとうに、演奏から人間性を見抜いた上でそう言ってるんだろうか^^。

2008年04月22日

景況調査、訃報

本学と南大阪地域振興センターが、共同で四半期毎に実施している景況調査アンケート。自由記述欄の回答の傾向がさいきん変わってきたようだ。【政府・自治体の施策に関するご意見がありましたらお聞かせください】という質問に対する自由回答。「地元優先に業者選定をすべし」「自治体からの発注が少ない」「受取手形が不良債権になったときの補助がほしい」といった数年前の典型的な回答パタンはすっかりかげをひそめて、直近では、「資本主義なので期待しない・小さな政府にして税金を安くせよ」「役人は公僕意識が低すぎ、橋下知事頑張れ」。さらに・・・「政治家は自分のことしか考えない、役人はいかに仕事をしないで毎日が過ごせるか(しか考えない)、学者は論文を書いてばかりで本来の仕事が何かをわかっていない、そろそろまじめに仕事をせよ」。

最後の指摘がすこし喉につかえていたところに、突然、学生時代のゼミ指導教員の急逝の報が届いた。社会政策論専攻、当時(30年前)の経済学教授のなかではめずらしく^^、社会に直接還元できる専門知識を備えた方で、あちこちの企業年金制度の設計などに奔走しておられた。10年以上前に同窓会に参加してお目にかかったのが最後。東京育ちのはずなのにズブズブの関西弁を話しておられたのが未だに不思議なんだけど、直接うかがって謎を解く機会をとうとう逸してしまった(たしか一度聞いたような気もするが、忘れてしまっている)。でも関西弁のわりにはどことなく日本人離れした風貌で、スキンヘッドも眼鏡も顔つきもミルトン・フリードマンに似ておられるとずっと思っていた^^。ゼミではいつも「キミの考えは極端すぎて話にならない」と叱られていたけれど、大学院進学時にはウェーバーの「職業としての学問」を薦めてくださったことを思い出す。というわけで、週末には東京まで出向いて葬儀の末席に(行き帰りの新幹線ではウェーバーを^^)。

2008年04月15日

新学期のはじまり〜

この春学期の講義担当は月曜・水曜・木曜、いずれも昼過ぎの3限から。夜型の私(午前4時〜5時就寝人間)にはありがたい時間割なんだけど、空いた時間にプライベートな勉強の予定を入れたので、けっきょく月・木は9時起き(プライベートとはいっても仕事に直結すること、為念)。ここしばらく昼夜逆転(午前7時〜8時就寝^^)の生活だったので、リズムを戻すのがちょっとたいへん。

学部「計量経済学」の受講登録者数がすこし持ち直した気配(といっても30人くらい?、出席者数が大学院「計量経済学研究」とほぼ同数まで落ち込んだ時期もあったが^^)。研究科長から私の講義を薦められたという社会人聴講生。さらに、最前列にまじめそうな女子学生がずらりと(といっても、約4名ほど)並び、つぶらな瞳がこちらを凝視するなんて、この講義では10年ぶりか^^。で、昨日は、20年やってる講義で久しぶりにちょっとスベった。なんとか彼らの興味をつなぎとめなあかんという下心が働いたかもしれん^^。

新聞販売店に料金を二重取りされて以来、日本の新聞など二度と講読(つまり販売店に配達を依頼)しないと思ってたんだけど、演習I で新聞記事を読もうと言ってしまった手前もあり、日経新聞を購読することに^^。いま「お試しキャンペーン」というのをやっているらしい。申し込むと、「わかる日経」という冊子がもらえて、一週間無料で配達してくれる。一週間後に正式に講読を申し込むと、さらに「やさしい日経経済用語辞典」という本がもらえる。実は日経新聞はあんまり読んだことがない(ひょっとして経済学部教員として致命的な告白?、学部学生のころは下宿で講読していたけど)。ゼミで日経ストックリーグに参加していた時期にはずっと研究室に届いていたが、最近は「経済教室」や「やさしい経済学」を図書館で流し読みするくらい。というわけで、日経初心者としては、まずお試しキャンペーンに申し込んでみる(なんか言われたら、いや妻が読みはじめるんですと言い訳する)。

2008年04月02日

溶けない氷河、なくならない学歴社会

さいきん skim して印象に残った文献から二つ。

溶けない氷河(太田 et al.『日本労働研究雑誌』2007年12月)
地球温暖化を懐疑する論文ではない^^。年齢性別学歴といった個人の属性は同じでも、学校卒業時点の経済社会動向によって卒業後の人生が大きく異なってしまうことを、労働市場の世代効果という。「就職氷河期」と呼ばれた平成不況のどん底の時期に大学や高校を卒業した人たちの一部はまっとうな職にありつけなかった。この時期に「フリータ」の数が激増したことは周知の事実。このフリータたちのその後の人生を追うと、多くの人は、今なおフリータのまま停留している。溶けない氷河。

なくならない学歴社会(原・盛山『社会階層』第二章、1999年)
1980年代に日本でも注目されたブルデューという人は、「文化資本」というキーワードで、階級再生産の仕組みを理論化しようとした。現代社会は学歴社会、つまり学歴によって所得水準が決まる社会だが、ブルデューによると、学歴を決めるものは客観的な学力ではなく、親から子へ継承される「文化資本」(著者による言い換えでは「家庭的文化環境」)である。医者の息子は医者に、政治家の息子は政治家に、こうした「二世」がはびこる社会の形成には、親から子へ相続される「文化資本」が大きく作用している。
こんな面白い理論を1980年代に知っていたら、私ならきっと飛びついてましたわ^^。でも、一見もっともらしいこの理論を、実証的に否定するのが、この論文の目的。現代日本において、学歴格差は厳然と存在している(著者の仮説によると、大卒者の比率は増加しているが、社会の高度化によって大卒者を必要とする職種も増えているから、学歴間の賃金格差はなくならない)。しかし学歴は、言われるほどには、再生産されていない。高学歴・上層ホワイトカラーの世襲率、つまり、高学歴高給サラリーマンのうち親も同じく高学歴高給だったという人の割合は、1995年の時点でも、25.2%にすぎない(1955年には19.3%)。他の75%は異なる階層の出身者である。父世代は高学歴ではなかった階層の子弟が、学歴をバネに上層階層へ進出するという経路は保障されて有効に機能している。学歴社会は教育機会の均等をもたらしているのである。
今後はどうなっていくかに関してもうすこし突っ込んだ記述を読みたかったとも思うんだけど(本は 1999年執筆、1995年までの調査を基にした分析)、まぁとにかく、この章の中にはシブい文章が散在。たとえば・・・「競争の非人間性」を声高に叫ぶ人は、ともすれば、競争が有する人間的な側面を無視していないか。不平等の存在は自由と創造性のために不可欠である。学歴社会は、個人の能力と達成動機を社会的な善のために活用しうる可能性とそれなりの良さを有している。大学受験における中高一貫校(私学)の比重の拡大は、低所得層にはまことに不利なものであり、これをもたらした学校群制度は天下の愚策である、等々。