ある中国語サイト(の日本語訳)kakusashakai(絶望的な社会)からの引用(文意はそのままに、字句を少し訂正)
「過去の人は、『裕福な人は先に裕福になっただけであり、日本経済の発展にともない、みんなが裕福になる社会が実現する』と考えた。しかし現在、人々は階層の分化をますます深刻に考えています」 東京大学の社会学者、佐藤俊樹は言う。貧富の分化は日本では独特の「名前」をもっている:kakusashakai(絶望的な社会の意味)である。多くのデータが、分化がだんだん明確になってきていることを証明している。しかし、貧富格差の国際比較では、日本は未だ?、G7先進国中、ドイツに次いで二番目に平等な国。また、時系列で見ても、近年になって所得格差が急拡大した証拠はない。2003年の国民一人あたりGDP(100USドル)は、米国 377.6、日本 337.2、中国 10.9(IMF "WORLD ECONOMIC OUTLOOK Database, April 2004")。1ドル=110円でおおまかに換算すると、日本人の平均年収 371万円、中国人の平均年収 12万円。この差が埋まることなどありうるかという問いはさておき、佐藤が指摘しているのは、圧倒的に高い平均所得のもとで、相対的な格差(所得分布のばらつき)が徐々に拡大しているという、(考えてみれば)贅沢な悩み。平均年収12万円の社会で、フリータが「不精者」としか捉えられないのは無理もない、とも思うけれど、上海にも Neet はいるというし、だいたい、英国の一部の中国人留学生の豪華さはなんなのでしょう(もちろん、まじめで質素な方も多いですが)。