町内会・軍歌

↓大ボケ運転手のせいか、昨晩は、小さい頃の町内「運動会」のことを思い出した。コロンビア・ローズだか畠山みどりだかの歌謡ショー(有馬か宝塚あたりの温泉)に、長屋のみんなが家族総出で出かけたときのこと。 私たちの世代(の貧乏人の生まれ)が軍歌に多少の造詣^^をもつ理由は、単に、幼少の頃に父親が酔っぱらっていつも歌っていたから。とくに、町内会の日帰り温泉旅行(「運動会」)ともなると、行き帰りのバスの車中は「見よ東海の空あけて」にはじまり、「あぁあの顔であの声で」に終わる軍歌のオンパレード、この二曲(「愛国行進曲」「暁に祈る」)などは、いまだにそらで歌えてしまいそうな自分が・・・^^;「より闘ったものはより寡黙である」とかいう洋物インテリの格言^^は長屋の町内会には妥当せず、子供心にもなんとなく、堂々と歌える人・歌ってよい人・拍手だけの人というランクがあったようにも思う。とくに「ここはお国を何百里」は、長男を陸軍にとられ大陸で死なせた我が荒木家の専売特許の感があった。出征経験のある人がぽつりぽつりと亡くなっていき、少年兵で名誉の傷痍軍人となった我が父だけが残り、軍歌を歌う習わしは完全に消滅。なお、未だに不思議なこと(要するに、なんにもわかっちゃいないだけのことなんだけど)は、「海ゆかば」が決して歌われなかった(と思う)こと。上級将校が好むインテリの歌だから?大政翼賛会と朝日新聞が推進した「国民の歌」だから?それと関連するのかどうかよくわからないんだけれど、我が家には靖国を敬う風習がない。というか、祖母からも父からも、靖国神社の「や」の字も聞いたことがない。昭和天皇の写真は神棚付近に飾られていて、「戦争に負けてニッポンは情けない国になった」というのは祖母と(かつての)父の口癖だったけれど。

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このページは、eiichiが2006年4月 5日 07:28に書いたブログ記事です。

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