英国史にみる日本の未来

中西輝政著、本題は「国まさに滅びんとす」(文春文庫)。研究室に泊まり込みで、旧年度の書類の山を整理していて、積ん読の山^^のなかから見つけた。ぱらぱらとめくっているうちにハマってしまい、気がつくと、夜が明けていた;;昼過ぎまで研究室で眠り、雑事をすませて、落胆のうちに帰途へつく;; 1901年1月、ヴィクトリア女王崩御。著者によると、イギリスはこのときはじめて、「衰退」を意識する。その後の半世紀ほどはギリギリのところでよく耐えたが、1960年代半ばのアフリカ諸国の独立ラッシュをもって大英帝国は滅亡。この英国の「衰退」史から日本は何かを学ぶべきであると著者は言う。というのも、ヴィクトリア女王崩御直後のイギリスと、日本の「いま(1998年)」の「社会的風景」は驚くほどよく似ているから(ヴィクトリア女王の治世は63年間におよぶが、昭和天皇も64年間その地位にいた^^)。保守・伝統・規律といったことが声高に叫ばれる一方で、企業家たちは技術革新への意欲を失い、大学生の活字離れが進み、離婚が一般化すると同時に「家庭の崩壊」が問題視された。豊かになった下層中産階級が競って海外旅行に出かけ、聞いたこともない新興宗教が次々と生まれ、さらに前代未聞の「健康ブーム」や「温泉ブーム」が起こった。繁栄の中で育った若者たちは必然的に「やさしく」なり、歴史上はじめて、若者の体格や識字率が低下しはじめた、などなど。とても面白い。ただ、日本への教訓は、結局のところ、抽象的でよくわからない^^。イギリスがギリギリのところで半世紀以上も耐えたのは、要するに、「国家運営のソフトウェア」、いつ妥協していつ原則を貫徹するか、このノウハウを長い帝国の歴史のなかでリーダ層が身につけていたから。それにもかかわらず生存の決定的チャンスを何度も逃したのは、繁栄のなかで育った若いエリートたちが「自己利益指向」で観念論をふりかざし、イギリス本来の骨太のプラグマティズムに徹しきれなかったから。「○○型システム」とか「○○・スタンダード」とかいう様々な観念論が、あたかも二律背反のように語られる昨今の日本であるが、結局「経済は勝てばよい」のである -- といったあたりが、著者の結論だろうか。

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このページは、eiichiが2007年3月 7日 00:20に書いたブログ記事です。

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