早明ラグビー

私の趣味はスポーツ番組観戦なので、当然ながら、ラグビー(も)好きである^^。↓で明治ラグビーを引用してから、大学ラグビーのことをいろいろ思い出している。で、やはりラグビーといえば早稲田だと思う。ラックやモールが「ルーズ」と呼ばれていた頃、平尾誠二が伏見工業から同志社へ進み関西大学ラグビーが全国的に注目される以前は、早明戦が日本ラグビーの頂点だった(と思う)。対抗戦リーグ60連勝、黄金期の早稲田ラグビーは、バックスの華麗な展開、伝統の低いスクラムとゴールライン際3mの悲壮感ただよう守りなどなど、いろんな表現でもてはやされた。早明戦の前夜には、「明日はいよいよ明治だ」とスパイクを丹念に磨きながら、高まる興奮をおさえきれずに全員が嗚咽するという逸話もあった。いちばん印象に残っているのは、知的な宿沢でも美男子の植山でもなく、藤原優。馬車馬のような走りで、得点を稼ぐだけでなく、守りにも貢献した。かわいそうなことに、彼が留年した年から、日本ラグビー協会は、「TV中継において 5年生は 5年生と表示させる」ことを決めた(それまでは、5年生は4年生と表示されていたのです)。彼は、全国中継で「5年生」と表示された最初の選手である。これホントです。ぼく、テレビで見てて、アナウンサが「この5という数字はなんですか」と聞くと、解説者の日比野さんが「いや、今年から5は5と表示しようということになりまして」と説明していたんですから。というわけで、またくだらない話になりました。

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このページは、eiichiが2007年5月 4日 14:49に書いたブログ記事です。

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