下(↓)と同じ『文春 Special』に、「働くことが尊敬される社会へ」という文章も掲載されている。『パラサイト・シングルの時代』や『希望格差社会 --負け組の絶望感が日本を引き裂く』で有名な山田昌弘教授。高校までの経歴はわからないが、Wikipedia によると、やはり東大文学部卒業、同大学院中退。 ふたたび私なりにこの文章を要約すると --- 昭和30年代に存在して現代日本に存在しないものは、「働く人への尊敬」である。本来、働くことは「他人を幸福にすること=尊敬されるべきこと」であり、「快楽のためにお金を使うことは軽蔑される」べきことである。それがいまは逆転し、働くことへの尊敬が失われつつある。これは、近代社会が成熟して商品がなかなか売れなくなったために、生産者が消費者に頭を下げねばならなくなったから。同時に、市場原理主義の浸透により、お金を使うことが、働くことよりも偉いという意識が広まったからだ。単純作業をしているフリータは自分がしている仕事へのプライドが非常に低い。自分のやりたいことは他にあると夢想しながら、生活のため、仕方なく働き続ける。しかし本来、あらゆる仕事は社会にとって不可欠であり、他人の幸福を増すために役立っている。働くことそのものが尊敬される社会に戻るための仕組み作りが必要である。 ---
今も昔も、懸命に働いて家族を養ってくれる人への尊敬の念は、誰でも持っている。でも、単純労働は単純労働であって、単純労働そのものにいったいどういうプライドが持てるのだろうか。昭和30年代には、嫌な仕事でも我慢して働かねばならないという圧迫は今より遙かに強かっただろうが、職業の貴賎は今よりずっとストレートに語られていたのではないだろうか。市場原理主義への批判も一面的な気がする。たとえば旧態の日本的労働者自主管理企業に、効率一辺倒の近視眼的経営者が乗り込んできたら・・・高給取りの正社員が解雇され、フリータの求職活動が門前払いにあうことはなくなるかもしれない。