公立高校再編の話に興味を抱くのは、今の大阪の高校の「勢力図」が、どうも納得できないから。
ひと昔前まで、大阪では、優秀な生徒の大半は公立高校に進学した。(もちろん例外はあるが、一般的に)私立高校は、いわゆる「滑り止め」として、あるいは公立高校へ入る学力のない生徒の受け入れ先として機能していた(たとえば桃山学院高校は学区内で2,3番目以降の公立高校志願者の典型的な「滑り止め校」だった)。イギリスの中高教育はこの逆の典型かもしれない。公立学校(state school)は「はきだめ」である。良家の子息(中流以上)は私立学校(public school)へ行く。私立の学費は目が飛び出るほど高くて、たとえば名門のイートン校では、年24000ポンド(576万円)。お金持ちの子は私立学校へ行き、大学を出て、高所得の職業につく。貧しい子は公立学校へ行き、ほとんどは大学へは行かず、低所得の職業につく。お金持ちの子はお金持ちになり、貧しい子は貧しいまま。つまり、階級は再生産される。このシステムのなかで、スタート時点からチャンスを与えてもらえない貧しい子がいるとしたら、それは明らかに機会の平等に反するし、有能な子を埋もれさせるという意味では社会全体としても不効率なことである。
この文脈で素朴に考えると、階級再生産の深化をくいとめるには、公立学校が「進学校」としてもっと頑張らねばならないと思う。つとに指摘されることだが、ここ数十年の大阪(日本)における変化は、階級再生産型へ向かっている。 Wikipedia「学費」によると、現在、東京都立高校の初年度納入金は 120850円、大阪府立高校では 154900円に対して、私立高校では 692027円。一方、東大合格者公立高校占有率(サンデー毎日)をみると、大阪では、1975年(昭和50年)の合格者 58名中 43名が公立高校出身(74%)だったのに、2005年には合格者 47名中 9名のみが公立高校出身(19%)。最高学府で高等教育を受けるためには私立高校へ行くのがはるかに近道。しかし、いわゆる「貧困率」(日本の場合には年収 240万円に満たない国民の比率)が 15~16%といわれる「格差社会」にあって、私立高校の学費は年間70万。エリートへのパスポートは庶民には手の届かない「高額商品」になりつつある。
なお、東京より大阪の方が公立高校の授業料が高いことをはじめて知ったが、これには憤りを禁じ得ない^^(財政事情の違いによるものだと言うのかもしれないが、それでは、大人の放蕩浪費のツケを子供に回しているようなもの)。それはともかく、なぜ上のような公立・私立の逆転が起きたのかを整理しておくことは大事なように思う。トリガーは昭和48年の学区改正。これを境に、受験生とその親たちは私立を選好しはじめた。この48年改革の理念(「高等学校間の格差を是正し受験準備のための過度の学習負担を軽減して正常な学習活動をもたらす」)は、その後30年にわたり公立高校運営の基本に据えられてきたが、その30年のあいだ、受験生側はひたすらどんどん私立へ流れ続け、結果として上述の格差が生じて、取り返し不能なまでに拡大し固定されてしまった。48年改革は、階級再生産型社会への道を整備して、階級再生産装置の強化に大きく寄与した、とはいえないだろうか。