溶けない氷河、なくならない学歴社会

さいきん skim して印象に残った文献から二つ。

溶けない氷河(太田 et al.『日本労働研究雑誌』2007年12月) 地球温暖化を懐疑する論文ではない^^。年齢性別学歴といった個人の属性は同じでも、学校卒業時点の経済社会動向によって卒業後の人生が大きく異なってしまうことを、労働市場の世代効果という。「就職氷河期」と呼ばれた平成不況のどん底の時期に大学や高校を卒業した人たちの一部はまっとうな職にありつけなかった。この時期に「フリータ」の数が激増したことは周知の事実。このフリータたちのその後の人生を追うと、多くの人は、今なおフリータのまま停留している。溶けない氷河。

なくならない学歴社会(原・盛山『社会階層』第二章、1999年) 1980年代に日本でも注目されたブルデューという人は、「文化資本」というキーワードで、階級再生産の仕組みを理論化しようとした。現代社会は学歴社会、つまり学歴によって所得水準が決まる社会だが、ブルデューによると、学歴を決めるものは客観的な学力ではなく、親から子へ継承される「文化資本」(著者による言い換えでは「家庭的文化環境」)である。医者の息子は医者に、政治家の息子は政治家に、こうした「二世」がはびこる社会の形成には、親から子へ相続される「文化資本」が大きく作用している。 こんな面白い理論を1980年代に知っていたら、私ならきっと飛びついてましたわ^^。でも、一見もっともらしいこの理論を、実証的に否定するのが、この論文の目的。現代日本において、学歴格差は厳然と存在している(著者の仮説によると、大卒者の比率は増加しているが、社会の高度化によって大卒者を必要とする職種も増えているから、学歴間の賃金格差はなくならない)。しかし学歴は、言われるほどには、再生産されていない。高学歴・上層ホワイトカラーの世襲率、つまり、高学歴高給サラリーマンのうち親も同じく高学歴高給だったという人の割合は、1995年の時点でも、25.2%にすぎない(1955年には19.3%)。他の75%は異なる階層の出身者である。父世代は高学歴ではなかった階層の子弟が、学歴をバネに上層階層へ進出するという経路は保障されて有効に機能している。学歴社会は教育機会の均等をもたらしているのである。 今後はどうなっていくかに関してもうすこし突っ込んだ記述を読みたかったとも思うんだけど(本は 1999年執筆、1995年までの調査を基にした分析)、まぁとにかく、この章の中にはシブい文章が散在。たとえば・・・「競争の非人間性」を声高に叫ぶ人は、ともすれば、競争が有する人間的な側面を無視していないか。不平等の存在は自由と創造性のために不可欠である。学歴社会は、個人の能力と達成動機を社会的な善のために活用しうる可能性とそれなりの良さを有している。大学受験における中高一貫校(私学)の比重の拡大は、低所得層にはまことに不利なものであり、これをもたらした学校群制度は天下の愚策である、等々。

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このページは、eiichiが2008年4月 2日 04:30に書いたブログ記事です。

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