HMV に注文していたイギリス弦楽小曲集が届いた。さっそく Apple TV に入れて、BGM で流してる。あぁ美しい^^。コッツウォルズの広大な風景が目に浮かぶ。またいつか、行きたいな(一週間でいいから^^)。
「のだめカンタービレ」のことをゼミ生に教わる。音楽家を志す青年たちを描いた人気TVドラマで、主題歌に使われたベートーヴェンの第七交響曲(ベト七)は、いまや若者の間でちょっとしたブームなのだそうだ。どおりで、こんなページがあるわけだ(ワタシもここ数十年来行ったことがありませんが、演奏会では私語厳禁、だそうです^^)。
というわけで、拙宅にあるベト七の CD 三枚を聞き比べ^^。まず、ジャクリーヌ・デュプレ の元旦那で、デュプレの闘病中に別の女に子供を産ませていたバレンボイムが、ベルリンの壁の開放記念コンサートにおいて、ユダヤ人であるという自らの宿命に感極まり凄絶なるフィナーレを演じたという、ライブ録音版。しかし、録音が悪いのか、なんだかやたらにウルさくて途中でイヤになる^^。そこで、ノリントン+ LCP の CD へ交換。でも小編成オケではやはり迫力不足は否めず、途中で飽きてきちゃった^^。というわけで、カラヤン+ BPO 。低音の重厚な響き、弦の解像度の高さと鮮やかな音色は70年代初頭の録音とは思えない。人によっては外連味たっぷり?ということなのかもしれんけど、随所で魅了して細部まで丁寧に聞かせてくれる。素人耳にも、カラヤンはやっぱり偉いと思うのだ(最近、NHK の趣味の番組で天野祐吉さんも絶賛してました^^)。
カラヤンといえば、日本には「カラヤンを好むのは素人、通はカラヤン嫌いでなくてはならぬ」という大方の了解があるようだ(現在はそうでもないのかも)。この了解を先導したのはどうやら宇野某という音楽評論家のようで、なんでも「カラヤンには精神性がない」からだそうである。「精神性」って、ナニそれ? そもそも、「精神性」なんていう日本語はあるんだろうか。作曲家の意図、時代背景や指揮者の神髄とかそんなことを問題にしたいのなら、「精神 spirit 」と言うべきだろう。そうした「精神」を追求しようとする「傾向」とでも言いたいのかと思いきや、英和辞書で「精神性」を全文検索すると "spirituality" という単語が出てくる。そして英英辞書には spirituality: the quality of being interested in religion or religious matters とある。つまり、精神性とは信心深さ、敬虔さ、脱俗世の度合いといった意味なのだろう。どうでもいいような気もするけど、ほんとうに、演奏から人間性を見抜いた上でそう言ってるんだろうか^^。