西洋音楽史

岡田暁生著「西洋音楽史」(中公新書)。以前に買っていたものをパラパラとめくっていたら止まらなくなり、最後まで読んでしまう(何をやってるんだか、もう^^)。中世のグレゴリオ聖歌からバロックまでが前半部を占めていて、めずらしい作曲家の名前がいっぱい登場。対位法や通奏低音などの専門用語もとても平易に紹介されていて、一気に読み通せる。でも「クラシックの黄昏」というサブタイトルが示すように、著者の関心の中心はやはり19世紀ロマン派以後にある様子。

バッハは、作風においても生き方においても、バロックの異端だったらしい。その偉大さは、作曲の心得を相当に持つ人だけが理解できるものらしく、死後半世紀ほどは顧みられることもなかった。が、メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を発掘して100年ぶりに再演したことから、バッハは19世紀初頭に劇的な復活を遂げ、プロテスタント・ドイツ・ナショナリズムの昂揚に大いに寄与したそうだ。バッハの後に花開いた19世紀ロマン派は大きくふたつの系統に分かれる。パリのオペラ座でサロン音楽を楽しむ俗物のフランス・イタリア派と、究極の詩(至高芸術)を追求するドイツ・ナショナリストたち。後者の出発点は、ベートーヴェンがうちたてた「勤労の美徳の(音の)記念碑」。彼は、天賦の才ではなく労働によって、凡庸な主題旋律から偉大な音楽作品を構築した(「主題労作」と言うらしい)。そして到達点は、神無き時代の宗教音楽、マーラー。「物質主義・社会主義・無政府主義に満たされた人間たちが、いかに神と争い、神を見いだして、祈ることを学ぶに至るか」、これがマーラーの全創作のモットーだそうだ。

だから、交響曲はやっぱり襟を正して聴かんといかん^^。とはいえ、大胆なチャート式図解だから例外もあるはずだし、ドイツに遅れて、フランスでも「脱俗物」の動きはあったそうだ。たとえば、ボクは「俗物派」のフランス人のフォーレなんかは大好きで、彼の「レクイエム」などは俗物の対極だと思うし、「俗物派傍流」のイギリス人のエルガーは交響曲も書いていて、ドイツ正統継承者の R.シュトラウスも絶賛している。イギリス人の作曲家といえば、大好きなディーリアス(梅毒で死んだかわいそうなディーリアス)には、ニーチェをモチーフにした「人生のミサ」というシリアスな作品もあったらしい。

第一次世界大戦前後に、爛熟したロマン派は内部から破壊解体され、今に至る。最後に著者は、「現代音楽史」の可能性を自問する。前衛音楽の類は、期待薄(けっきょく誰にもわからないから)。現代における芸術音楽の王道は、やはり、巨匠(指揮者)による名曲レパートリーの演奏。名人の古典落語を聞くようなもので新作はもはや出てこないが、実は名曲レパートリーの決定版も出揃ってしまっていて、もうネタ切れ状態。もし可能性があるとしたら、緻密に設計されたジャズやポップスかもしれないということだそうだ。

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このページは、eiichiが2008年5月 5日 05:39に書いたブログ記事です。

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