2008年8月アーカイブ

安っぽいフレーズ

先日、ゼミ生の進学の件で入試課をたずねたところ、新しい大学院案内の冊子が既に公刊されていることを知った。案の定、今年のものも、感心できない。実は、前年度の同冊子のうち、経済学研究科の部分のみが特にひどいと思ったので、学部広報委員の立場上、「こういう公刊物は事前になるべく多くの者が点検すべき」という提案を、7月の時点で、研究科長に申し出ていた。しかし、彼らは、広報委員会に原稿を見せることすらしなかった(広報委員会の校閲申し出は拒絶された)。で、結果がコレ。

細部はおいて、経済学研究科の章の冒頭部分。憎まれ口ばかりをたたくようだが、この冒頭の見開き2ページに、安っぽさが露呈している。見開き左ページのキーフレーズは「勇気を知識に昇華できる場所がここにある!」、右ページのキーフレーズは「観察眼と分析眼を磨く」。いずれもおかしいと思う。

まず、「勇気を知識に昇華」。安っぽいフレーズだ。「昇華」とは「個体が(液体の状態を経ずに)気体になること、(転じて)物事がさらに高次の状態へ一段と高められること(広辞苑第五版)」。たとえば「知識を智慧に昇華する」、あるいは「知識を勇気に昇華する」、このいずれも違和感はない。しかし、「勇気を知識に昇華する」とは・・・^^(いやまぁ趣旨は自明なので誰にでも推測できるんだけどね、だからこそ、半可通は避けて、もっと素直に書くべきではないんだろうか、「勇気に知識を与える」とか)。

それから、「観察眼と分析眼」。このふたつはどう違うのか。そもそも、観察とは「物事の実態を見極めること(広辞苑)」であるが、観察には一定の観点(分析)が必要で、分析能力が高まるほどに観察力も鋭くなる。分析を伴わない観察はないなら、観察眼とは分析眼に他ならない。この場合、「観察眼より分析眼を重視する」といった表現は意味をなさず、この文章の前半部は支離滅裂となる。素直に「情報収集と分析」とでも書けばよいものを、小難しい用語を不正確な定義のままに使うから、話が不明瞭になるのだ。不明瞭な前半部に照らすと、後半部の「(数学を使えば)明晰な論理を自在に操れる」等の主張も虚しく響くが・・・(これ以上は書かない)。

貰いすぎ給与のカット

↓の正社員・非正規社員の話に関連して、面白い論説を見つけた。

氷河期世代を救い、労働市場を正常化する政策提言

同意しかねる箇所もあるけれど、ともかく、「中高年社内ニート」(NTT の「ダメAちゃん」年収1800万円や、電通の「担当部長」年収2000万など)には、思わず苦笑^^。著者は「50代以上」と限定しているが、たとえば社保庁をはじめとする官庁(特に地方官庁)などには、30代、40代の「給料泥棒」も多くいるはず。著者が提唱するように、こうした不当な高額給与を減額して、そのかわりに最低賃金を引き上げ、非正規社員の正社員化を促すべきだ。 素朴に考えても、これにより、人件費不変の下で生産性は高まるから、企業の競争力=成長可能性は高まる。同時に、限界消費性向の低い層から高い層への所得再分配によりマクロ消費が増加するから、需要面からも経済の成長可能性は高まる。つまり、所得(利潤・賃金)は増加して、雇用もさらに拡大する可能性が開ける。短期的に所得税収は減少するかもしれないが、消費税収は増えるだろうし、成長率が上がり雇用が拡大すれば、法人税収、所得税収ともに増加してくるはずである。より長い眼で見ると、若年層の生活が安定化することは、「フリータ問題」と絡めて指摘される難問(年金健保の財政難、結婚率の低下=少子化、熟練技能の消滅などなど)の緩和に必須だろうし、若者のみならず多くの社会構成員が現状に対して抱く不公平感、憤りや絶望感もやわらぎ、社会や政府への信頼も回復する可能性がある。

永遠の格下

北京五輪の野球。日本は韓国に完敗。今回こそは金メダルがとれる(かもしれない)なんて思っていたが、おのれの浅はかさを恥じ入るばかり。非力な打線、仕草も野球もダルい「若きエース」、さらにメンバーには約一名の草野球外野手もまじっていたが、諸般の事情により人選がうまくいかなかったということか。あるいは、選手達にはなんの賞罰もないボランティア参加の五輪では、星野も鉄拳制裁をふるえなかったということだろうか。 いやいや、あの負け方は、圧倒的な実力差によるものだ。準決勝の韓国戦を、わたし、大学正門近くの喫茶店で見ていたが、岩瀬が李に勝ち越し2ランを打たれたことよりも、その前の回に、藤川が同点打を打たれたときに、彼我の力の差を痛感できた。あの藤川が、どこへ投げたらよいか迷っていた。完璧な力負け。サッカーのみならず野球においても、日本は、まさに「永遠の格下」だったんだ;; それにしても、我ながら不思議なことに、今おこわれている韓国=キューバの決勝戦で、自然と、韓国を応援してしまうのはなぜ?そういえば、2002年日韓W杯のときにも、日本がベスト16で敗退したあとは、わたし、韓国を必死で応援してたっけ。

知性の叛乱

1960年代後半に書かれた、有名な本のタイトル(有名なタイトルの本というべきか。年代がまったく異なるボクですらタイトルだけは知っているが、もちろん読んではいないので名著かどうかはわからない。ちなみに、著者の山本義隆氏はやはり大阪出身、ただし環状線の内側、どうでもよいことだけど^^)。↓の古本の絡みでフト思い出して、この本のタイトルで検索してみると、「古本のともしび洞」という、これまた面白そうなブログを発見。すこしだけ引用する。

(山本氏の言う「自己否定」とは)体制内に安住することを否定する(こと)。山本氏は、徹底的な自己否定の後で、自覚した一人の人間として・・・生きてゆきたいと言う。約束された将来を否定してまでも、自分の思想に誠実であろうとした。それが当時の彼らの姿だったのではないか。・・・現代は、誠実であることが困難な時代だと思う。・・・目の前の欲に振り回されて他人に嘘をつき、自分さえも騙し続け、私利私欲のために誠実さをかなぐり捨てる。
平易だが、熱い文章だ^^。そこで、現代の日本社会において「自己否定」は可能か(自己否定したほうがええんとちゃうかと思われるもの)を、この文脈で考えてみる。たとえば・・・現代の格差社会における「体制」とは、正社員が非正規社員を搾取する構造。正社員は、自分と家族の「生活を守る」ために、非正規社員の窮状を見殺しにするばかりか、なりふりかまわず、非正規社員の労働の成果を搾取する。その、守るべき「生活」たるや、高級住宅に住み高級車を乗りまわし、月に一度は家族で温泉旅行、半年に一度は家族で海外旅行(通訳付き)、さらに愚鈍な子息を高額の塾に通わせ海外に遊ばせ・・・^^

1円の中古本

8月のはじめ頃に、ひょんなことから、Amazon.JP で、かわった中古本を見つけた。「蜂起には至らず(新左翼死人列伝)」。本の価格1円^^+送料340円で購入。古本屋のほうは、1円では儲けにならないが、340円の送料のほうで利ざやを稼いでいるのだろう。それにしても、1円とは大胆な値付け^^。と思いきや、ボクの注文直後に、1円から650円まで一挙に値がつりあがったけれど(バブルだ、逆に売りに出したろか^^)。

なお、この本に興味をもったのは、目次に、山崎博昭という名前を見つけたから。Wikipedia によると、この人は、大阪府立大手前高校で社研(社会科学研究会)に所属。京都大学へ進学するも、一回生の秋に(1967年)佐藤首相のベトナム訪問を阻止しようとする学生デモに参加して、羽田空港近辺で死亡。死因は未だに不明。もちろん年代も違うし、ボクには全く与り知らない世界なんだけど、この人のことをもうすこしだけ知りたいと、以前から思っていた(左翼運動に参加したきっかけはなにか、高校時代から活動を続けながらも国立一期校へ現役合格できたのはなぜか等々、他愛もない疑問ばかりだけど)。 届いた本にはこの人の略歴が記されていて、かねてからの疑問は霧消した気がする。1円の価値はじゅうぶんにあった。当然ながら、ネットではわからないことって、たくさんありますね。

引用文は出所を明記すべき

女子レスリング日本代表チームの監督さん(スキンヘッドの人)に興味を持ったのでググってみると、某女子大のスタッフ紹介ページがすぐに見つかった。自己紹介文の冒頭に、「人生の心得」なる名言を掲載しておられる --- 辛い事が多いのは感謝をしらないからだ。苦しい事が多いのは自分に甘えているからだ。悲しい事が多いのは自分の事しか考えていないからだ。--- さすがにええこと言いはるなぁと感心したが、どこかで聞いたような感じもする。そこで、「人生の心得 辛いこと 感謝」でググってみると、案の定、同じ言葉があちこちで引用されている。たとえば、生駒山某寺の「今月の言葉」(の引用)。では、この生駒山某寺がオリジナルかというと、そうでもないらしい。オリジナルは、石川洋「自戒」のようだ。 某女子大、某寺ともに、引用文の出所は明記すべきではないだろか(せっかくの「心得」もこれでは・・・^^)。

朝比奈@聖フロリアン

基本的に、日本製の音楽CDは買わない主義なんだけど(べらぼうに高いから)、昨日、久しぶりに「国産」を一枚購入した。朝比奈隆+大阪フィルハーモニーがオーストリアの山奥まで出かけて行って、ブルックナーの墓前(聖フロリアン教会)で演奏したという交響曲7番。1枚3000円(メチャメチャな値段だけど、買うバカ=私もいるのだから・・・^^)。 CD 発売は1987年とあるから、時は Japan as (if) No.1 の絶頂期。ジャパンマネーにモノを言わせて実現させた「酔狂」にちがいないが、指揮者の朝比奈はきわめてマジメに取り組んだようで、愛好家のあいだでは「奇蹟のブル7」と呼ばれている代物らしい。「奇蹟」の所以は・・・まず、聖フロリアン教会はオーケストラ演奏にはそもそも不向きで、金管楽器をフル音量で鳴らせなかったらしいのだが、むしろこれが幸いして、大フィルがいつになく素晴らしく落ち着いた演奏をしたらしい。さらに、(おそらく手違いでうっかりと)聖フロリアン教会の鐘の音が録音されてしまっているのだが、この鐘の音がなんとも曲にマッチして、すばらしい雰囲気をかもしだしているらしい。要するに、悪条件と単なる失敗がすべて幸いに転じて、「奇蹟」の一枚が完成したということだろう。

これに加えて、マタチッチのブル5とレーグナーのブル5(「岩のブルックナー」と「絹のブルックナー」^^)も注文。この名盤二枚を合わせても、(世界的には)無名の朝比奈+大フィルのほうが高額になるというのはやっぱり納得いかないけれど・・・^^。で、実はあと2枚、ジュリーニ最晩年のドボ9(新世界より)と、同じくジュリーニが晩年にベルリンフィルと演ったモーツァルト40番ト短調・41番ジュピターも同時購入(さいきん、ジュリーニの晩年のものも漁ってます^^)。

もうすでに拙宅は未聴 CD の山だけど、いまのうちに収集しておいて、10年後にはじっくり聴きたいなぁという作戦ですねん^^(↑の朝比奈あたりも、数年後には廃盤になってるかもしれへんし)。。

東京出張

研究室にて徹夜作業を開始したところ(オリンピックを見ながら^^)。 学部のサーバを掃除^^していて、「そういやぁ今年は夏休みがない」と書いている教員を発見。まぁ、「夏休み」というのは「講義がない期間」という以上の意味はないはずだから・・・。 わたし、今年の夏は東京出張がめじろ押しで、8月28,29 学会(小平)、9月1,2,3,4 公務出張(市ヶ谷)、9月7,8,9,10 学会(日吉)。2週間のあいだに、新幹線に6回乗る予定。いっぱしのビジネスマンみたい^^。

全身全霊・全知全能

北京五輪ソフトボール日本代表の斉藤監督が「金メダルへ全身全霊を傾けて」と語ったそうだ。この人はすらりと背の高い美形で、冷静沈着の印象。不世出の天才ショート「世界の安藤」とともに、いつも、ソフトボール日本代表の中核にいた人。頑張ってほしい。ぜひとも日本代表を金メダルに導いてください。

ところで、このニュースを読んでいてふと思い出したのは、かの巨人軍歴代監督衆の迷言。長嶋茂雄は、ペナントレースでも日本シリーズでも五輪でも、どこでもいつでも、「全知全能を傾けて」と語っていた。ボクは、誰かコイツの間違いを正してやれよと、いつもテレビにむかってつぶやいていた。が、誰も教えてやらないものだから、原がそれをマネして、おなじように「全知全能を傾けて」と言い続けている。アテネ五輪では、たしか中畑(代行監督)も同じように言っていた。こんな監督で勝てるわけがない。「アホな大将は敵より怖い」(某掲示板より)、「上がアホやから野球がでけへん」(江本孟紀)、「バッカじゃなかろかルンバ」(今年の交流戦のさなかに、楽天・野村監督が巨人・原監督の采配を揶揄して)。ちなみに、知的な王貞治はさすがにそんなことは言わないので、日本プロ野球を世界一に導いてくれた。星野仙一もそんなことを言うはずもない。だから、たぶん、野球も、今回こそは金メダルがとれる。

社会人基礎力

変テコリンな本が目についた。『今日から始める社会人基礎力の育成と評価 -- 将来のニッポンを支える若者があふれ出す!』。経産省編著ということなので、ウチの大学でもまぁいちおう、誰かが買って目を通しておかねばならないものなんだろう。でも、率直に言って、「社会人基礎力」というタイトルは可笑しい。 「現在の日本社会でうまくやるためのチカラ」とかなんとかに、表現を変えたほうがよいと思う(長いけど^^)。だって、社会人としての基本のチカラとは、まずなにより、ズルをしない心、思いやり、潔さ、志の高さなど、そうした公人としての基本仕様を指すはず。で、いまの日本で、それが欠けているのはいったい誰だろう。若者か、それとも・・・。

壁に耳あり Google Reader、うっかりしていると、下書きモードの個人日記として書いたつもりのものまで拾っていってしまう(ので、穏便に書き換えて公開せざるをえない^^)。

追記 Aug/04)上掲の書物(のタイトル)に関して、私が感じたことは、おおむね、次の二点です。 (1) 企業みずからが(若者を正社員として長期雇用(終身雇用)したうえで)企業内特殊訓練として行ってきたものを、企業外(学校)での一般的訓練で代替しようということではないのか。これは、企業にとっての訓練費用の節約、さらに、非正規労働者の即戦力化という意味合いももたないのか。 (2) ソフト面の訓練だけで、「将来のニッポンを支える若者があふれ出す」わけがない。より直接に、できるだけ多くの若者に正社員のポストと、能力と働きに見合った相応の賃金を保証する必要がある。いわゆる「若者論」(現代の若者は昔に比べて劣っている)は論外だが、社会(世界やゲームのルール)が変わったのだから現代の若者はそれに合わせるしかないという言い方もおかしい(まず大人が合わせるべきだ)。

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