1960年代後半に書かれた、有名な本のタイトル(有名なタイトルの本というべきか。年代がまったく異なるボクですらタイトルだけは知っているが、もちろん読んではいないので名著かどうかはわからない。ちなみに、著者の山本義隆氏はやはり大阪出身、ただし環状線の内側、どうでもよいことだけど^^)。↓の古本の絡みでフト思い出して、この本のタイトルで検索してみると、「古本のともしび洞」という、これまた面白そうなブログを発見。すこしだけ引用する。
(山本氏の言う「自己否定」とは)体制内に安住することを否定する(こと)。山本氏は、徹底的な自己否定の後で、自覚した一人の人間として・・・生きてゆきたいと言う。約束された将来を否定してまでも、自分の思想に誠実であろうとした。それが当時の彼らの姿だったのではないか。・・・現代は、誠実であることが困難な時代だと思う。・・・目の前の欲に振り回されて他人に嘘をつき、自分さえも騙し続け、私利私欲のために誠実さをかなぐり捨てる。平易だが、熱い文章だ^^。そこで、現代の日本社会において「自己否定」は可能か(自己否定したほうがええんとちゃうかと思われるもの)を、この文脈で考えてみる。たとえば・・・現代の格差社会における「体制」とは、正社員が非正規社員を搾取する構造。正社員は、自分と家族の「生活を守る」ために、非正規社員の窮状を見殺しにするばかりか、なりふりかまわず、非正規社員の労働の成果を搾取する。その、守るべき「生活」たるや、高級住宅に住み高級車を乗りまわし、月に一度は家族で温泉旅行、半年に一度は家族で海外旅行(通訳付き)、さらに愚鈍な子息を高額の塾に通わせ海外に遊ばせ・・・^^