年末年始のネット上では、派遣問題に端を発して、「労働市場の二極化」がさかんに議論されていたようだ。池田ブログあたりでは politically incorrect な「正論」がつとに主張されていたが、実は、主流派の認識もさほど遠くないところにあるように見える。すなわち、正社員による従業者主権体制が、「ノン・ワーキング・リッチ」と「ワーキング・プア」の二極化を促したという見方だ。
そこで思い出したのが、たしか20年ほど前のこと。Japan as No.1 の時代に、かの小宮隆太郎教授は「日本企業は労働者自主管理企業だ」と主張した。もれ聞くところによると、他の教授たちは「小宮先生ご乱心」と嘆いたそうだ。なぜなら、労働者自主管理企業が利潤極大化企業より非効率なことは既に証明済みの自明の命題であって、世界に冠たる日本企業がそんなものであるはずがない(また当時は、Azariadis=青木流の日本企業論が一般的だった)。が、「ヴェニスの商人の資本論」を著した俊英、岩井克人教授は、小宮教授の命題を真摯に受けとめて、動学モデルの枠組みでそれを証明した(成長経済では労働者自主管理企業のほうが効率的になる場合がある)。 ただ不思議に思うのは、その後の岩井教授の、(ナイーブともとれる)従業者主権への礼賛(つまり株主主権批判、たとえば、『会社はだれのものか』という本の帯には、「おカネよりも人間、個人よりもチーム、会社の未来はここにある」という文言がある)。冒頭の「二極化論」によると、高成長下で効率(と平等?)をもたらした従業者主権は、低成長時代には労働市場の二極化をもたらしたと言えるのかもしれない。いや、高成長下での「平等」も実は神話にすぎないけれど、パイの急速な拡大が問題を隠していたということではないだろうか。