某MLにて。あるヒトの「ラフな」物言いに閉口。せめてMLの主題に関わる情報くらいは(知りうるかぎりで)もっと正確にしようよ、とは言ったんだけどね。こちらの説明にまったく耳を貸さず、誤情報を断定的に語り続けるもんだから、キレちゃった。とっても好い人なんだけど、あれだけはちょっと・・・。 一般論として、「ラフな物言い」にはいくつかのパタンがありそうだけれど、まず基本原理がわかってないとボロが出るよね。聞きかじった表面知識をツギハギしていると、話の最初と最後でまったく矛盾したことを言ってしまったりする。それから、仮定と定義をしっかり明記することも大事。あいまいな仮定や定義のままで話をしていると、いつまでたっても議論は平行線。話がこんがらがって、なにがなんやらわからなくなってしまう。 でも逆に言うと、ホントはよく知らないことをわかったフリしなくちゃいけないときや、屁理屈(無理)をなんとしても押し通したいときなどには、論点をボカして泥仕合の引き分けに持ち込むために、「ラフな言い方」はとても有効なのかもしれん。もちろんボクはそんな高度な戦略をとれるほどに利口じゃないけれど^^、でもまぁ、「基本原理の理解」なんていっても相対的なものだろうから、ボクよりわかっている人にしてみれば、ボクの物言いも「ラフ」なのかもしれんがね。。
私情協大会の一日目。昨年も今年も、どうも招待講演の質に差があって、今日聞いたなかで有意義だと思ったのは、北大名誉教授の「高大接続テスト」のお話のみ。経済学者らしく、きわめて論理的でメリハリのきいた喋り。国大協(国立大学協会)では、センター試験にかわる新しい統一テストを模索中らしい。文科省が推進しているのかと思ったらそうではなくて、国立大学の側が文科省に対して問題提起をしているそうだ。センター試験は基本的に「ランク付け」をするための試験なので、「公平性」を極度に重視するあまり、いろいろとバイアスが出てきているらしい。たとえば、古文。昔は源氏物語や枕草子が必ず出題されたものだが、今ではまったく出題されない。古典の原文は公平性を担保することが難しいから、今では、擬古文と呼ばれる文章が出題されるだけらしい。日本の若者が源氏物語や枕草子に触れる機会を持てなくなっているとしたら、たしかに残念なことやね。 で、他の招待講演は・・・日頃はボクの下手な講義を聴かされている学生さんたちの気持ちが痛いほどわかった^^。それにしてもこの私情協大会、すでに情報処理自体が一日目の大テーマから外れて久しい。昨年は、経済情報関係の知人の顔を数名みかけたが、今年はまったく知人には出会えず。