子供の使い、貧乏物語

授業が終わった後に、某社の「偉いさん」と面談。話の内容はすでに現場の人との電話のやりとりで了解ずみなんだけど、「どうしても上司が直接うかがってご説明したいと申しておりますので・・・」ということで、本日のご来訪とあいなった。でも・・・なんだかちょっと様子がおかしかった。研究室に入るなり名刺を忘れたといってカバンを探し(けっきょく見つからず)、話しだすとすぐにモジモジと身体を動かしはじめた。まるで、ひとときもじっとしていられない子供のよう。こちらも聞いているのがしんどくなったので、数分で話を遮り、「十分わかっておりますから」と了解した旨を何度も強調して、早々にお引き取りねがった。(旧電電公社の「Aちゃん」とか)いろいろ噂には聞いているがこれがいわゆる「上司」か、現場の人もたいへんだなぁ・・・などと思ってしまった(いやいや、他山の石)。

明年度はひさしぶりに「経済学」という(そのものズバリの)タイトルの科目を担当する。どんな風にするかな~と、ボチボチ考え中。というわけでもないんだけど、昨日、歯医者の待ち時間に、河上肇「貧乏物語」をひもとく(iPhoneの青空文庫にて^^)。序文で、「人はパンのみにて生くものにあらず・されどまたパンなくして人は生くものにあらず」という有名なフレーズが敷衍されている。

一経済学者たる自己現在の境遇に安んじ、日々富を論じ貧を論じて倦むことなきゆえんのものは・・・恒産なくして恒心あるはただ士のみよくするをなす、民のごときはすなわち恒産なくんば因って恒心なく、いやしくも恒心なくんば放辟邪侈(ほうへきじゃし)、ますます道に遠ざかるを免れざるに至るを信ずるがためのみである。
はじめて読んだが、「上から目線」にちょっと驚いた^^。1916年の著作、現代日本の「貧乏論」とは視点がまったく違うようだ。

和泉 St.Andrew's Univ. 授業の合間に (GR Digital III)

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このページは、eiichiが2009年11月26日 03:16に書いたブログ記事です。

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