来るべき言葉のために

中平卓馬の絶頂期の写真集が復刻されていたことに気づいた(1970年発刊の「来るべき言葉のために For a Language to Come」、出版社の案内はこちら)。昨年あたりに古本で目が飛び出るような(数十万円の)値がついていたが、復刻版は7000円。それでもちょっと高いけれど、(印税は彼のもとへも届くものと勝手に期待して)さっそくに購入。アレ・ブレ・ボケの独特の作風。同じくアレ・ブレ・ボケで一世を風靡した森山大道より、ずっと暗くて冷たい^^。森山の写真に漂うノスタルジー(温もり)は無し、もっとクールに社会の暗部を切り出そうとしているように感じる。

中平といえば、日本の写真界には希有の達筆論理派にして、希有の非紳士的な放蕩無頼漢。「権威」に対して異議申し立てばかりをしていたような印象があるが、実は、正統派の写真に関する(正当な)論評も多い(と思う)。たとえば、篠山紀信との共著(「決闘写真論」)は、すごい本だと思う(あまり知られていないためか、この本は安価に古本で入手できる)。篠山が全力投球した写真もさることながら、中平の緻密な筆運びにもシビれてしまう(写真と無関係にも、学ぶべきものがあるように思う^^)。

ボクが中平の人生経歴を知ったのは(実は^^)近年のことなんだけれど、この「来るべき言葉のために」以後の彼の道のりには、なんというか、スジを通し続けることの難儀さ、のようなものを感じずにはおれない。読売新聞の記者が沖縄で撮影した一枚の写真をめぐる裁判に、彼は関わった。反戦デモに参加した青年が、炎に包まれた警官を蹴っている(ように見える)写真。この写真を証拠に殺人罪に問われた青年は、いや自分は警官を助けようとしていたのだと反論した。「写真はいかようにも解釈できる」と青年の弁護に乗り出した中平は、その支援活動を通じて、彼自身の写真観をガラリと変えてしまう。写真は「植物図鑑」であらねばならぬといいはじめ、過去に撮影したフィルムをすべて焼き尽くして、(アレ・ブレ・ボケの)魅惑的な独特の作風を捨てた。で、自己の論理不整合に悩み、スランプに陥って、急性アルコール中毒に伴う記憶喪失により実質的に写真家生命を終了・・・。昨年だったか、中平の近況を伝える映画(自主製作)を東京で見た。数十年ぶりに沖縄を訪れた彼は、荒木経惟や森山大道といっしょに、ある講演会に出席する。写真家として大成したかつての「同志」(荒木や森山)と、まったく無名の酔っぱらい爺さん(中平)。しかし、かつての同志に向かって「沖縄をどう考えるんだ」と詰めよる彼の姿は、勇ましくまぶしかった。四十年一日のごとき、純粋青年(と沖縄?)。

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このページは、eiichiが2010年9月 1日 02:00に書いたブログ記事です。

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