本業がはかどらない時にかぎって、別のことが気になってしかたがない(あぁ・・・^^)。
原発推進派と反対派の確執を「囚人のジレンマ」にたとえた文章を見かけた(こちら、全文を読むには日経IDを無料登録する必要あり)。私はゲーム理論を専攻しているわけではないが(学部時代に勉強したキリのような気もするが^^)、この文章は、とても興味深く感じた。いろいろな解釈の仕方があるように思えて、もうすこし経済学的に?考えてみたくなってしまった。
「囚人のジレンマ」は、囚人Aと囚人Bが、自白か黙秘かの意志決定を迫られる場面で生じる。解説はこちら。利得行列は図1のようである(◎が最良、○は良、△は悪、×は最悪)。水色の選択が協調解、黄色の選択が「囚人のジレンマ」。協調すればお互いが軽い刑で済むのに、囚人たちは協調できず、ともに処罰されてしまう(黄色の選択はパレート効率的ではない)。
そこで、原発推進派・反対派の場合の利得行列だが、まずそれぞれの目的とするところを次のように考えてみよう。推進派にとっては、とにかくコストをできるだけ抑えたい。コストには二種類あって、まず建設コスト(リスクへの対策コスト、これをコストAとしよう)。それから強硬な反対運動にあうと土地取得コスト等がはねあがる(コストB)。いっぽう、反対派にとっては、まずなるべくリスクの低い原発を作らせること(反対理由1)。それから自分たちの主張の正当性を社会に認めさせて反対運動の成果をあげたい(反対理由2)。
このケースが「囚人のジレンマ」になるかどうかは、コストAとコストBのどちらが大きいか、反対派が反対理由1と反対理由2のどちらをより重視するかに依存する。いずれも等しいとすると、利得行列は図2のようになる。そうだとすると、現在の状況が黄色の選択であるとしてみても、これは「囚人のジレンマ」とは言えないだろう(図2では、黄色の選択はパレート効率的である)。
私の理解があやふやかもしれないしもちろん別の見方もあるだろうとは思うけれど・・・このように考えてくると、「囚人のジレンマ」という流行?概念に論点をムリに押し込めてよいものかどうか(問題がボヤけてしまわないか)という疑問もわいてくる。リスクのより少ない原発の建設コストが非常に高くなる場合、あるいは反対派が反対理由2を重視する場合、黄色の選択は協調解ともいえるのではないだろうか。