2011年6月アーカイブ

人知れず微笑まん

Japan Times の記事(facebookで拾い読み中^^)で知ったんだけれど、70歳超の退役技術者たちが、福島原発でのボランティア作業を志願したそうだ(元記事はこちら)。死は意識するがカミカゼではない --- 「人知れず微笑まん」の世代ですね。

この春学期の院ゼミでは、多項(入れ子)ロジットモデルの推計に関する文献を何度かとりあげている。これを理解しないと情報通信分野の実証分析にはまったくアクセスできないから。が、実は、いまひとつうまくいかないのだ。昨日は他大学ドクター院生の論文を読んだが、数式表記の誤りが目だった。難しい課題ではあるんだけどね・・・。

お寺さんのかえりみち

荒木経惟(アラーキー)が facebook に登場したようで、friend request をしてみたら、なんと!お友達になってくれた。が、おなじことを考える輩が数千人ほどもいるのだろうか、アラーキーのprofileを覗くと、数日間で?1000人ほどfriendが増えている様子^^。でも好きだなぁ、来る者拒まずのおおらかさ。

教科書の誤り

一昨年あたりから(院生とミクロをやるようになってから)ずっと気になってるんだけど(以前にも記した気がするが)、ミクロ経済学の教科書のなかには、余剰分析(価格規制にともなう消費者余剰・生産者余剰の変化)の説明が不十分なものが多い。こちらのサイトなどは誤りの典型。正しい解説例はこちらのサイトなどにある。

たとえば、最低賃金制によって、労働者側の余剰は下図の橙色の面積になる。 wage.jpg なぜなら、最低賃金Aで働きたい労働者は AB 。彼らが全員雇われたときの余剰は △ABC だが、実際には AD だけが雇用される(雇用される確率は全員均等に AD/AB)。したがって、労働者側の(期待)余剰は、△ABC × AD/AB = △ADC 。

でも、ボクの学生時代(30年前)には、こうは教わらなかった。なぜか、留保賃金の低い労働者から優先的に雇われていくという仮定を置いて、最低賃金制がもたらす余剰の減少(社会的なロス)を小さく見積もっていた。これが今も尾を引いているわけだ。しかし、この違いは大きい。「最低賃金制によって労働者の余剰は増えても企業側の余剰は減少する」という言い方と、「最低賃金制によって労働者側の余剰も企業側の余剰もともに減少する」と言うのでは含意がかなり違ってくる。

現代文明論講義

佐伯啓思(ちくま新書)。「サンダルを履いた教授の発熱教室」だそうだ。駅の本屋で見つけて購入、帰宅してパラパラとめくっていたら止まらなくなった。今日はこれで夜明けまで(明日は9時起き、夜は長い、電車で寝たし~^^)。

かえりみち

月曜の準備完了

月曜の講義の準備が、いま(午前3:50)終了。これから一服して就寝、朝7時まで2時間半ほどの睡眠時間。睡眠時間はともかく、さすがに朝の1限から4限までぶっとおしの講義はキツい。火曜の朝に煙草を吸うと胸が痛くなるような・・・気のせいか^^。

「経済学」は、ミクロの初歩に入って4回目。今年は、3人の消費者と3社の企業で数値例を作りワークシートにして、ああでもないこうでもないと行ったり来たりしながら、ゆっくり進めている。今日はいよいよ、価格規制と余剰。ここさえクリアすれば、いろいろ面白い話につなげることができるんだけどな。。

演習IVは Javascript をやろうということで、こちらのほうも、行ったり来たりしながらボチボチと進行中。今日のお題は Maps API、来週は「ぐるなび」を予定^^。

帰り道(伝法)

あじさい

叔父(父の弟)が亡くなった(経済超特急を支えた無名のヒーローがまた一人・・・)。父の通夜に病身をおして来てくれたのがよくなかったのかもしれない。「兄貴、起きんかい!」と父に何度も呼びかけてくれていた。とにかく男気が強くて面倒見のよい人だった。二十年ほども前に心臓の大手術をした。退院時に「もうタバコだけは絶対にやめろ」と懇々と諭す執刀医の前で、「さてどの銘柄を吸おうか」と思いをめぐらせていたそうだ^^。

あじさい(拙宅にて)

そういえば、戦時中に父がつけていたという日記を、幼い頃に見せてもらったことがある。なぜか、次の一節を鮮明に思い出した。

「兄さんが死んだ」と叫びながら、弟が駆けよってきた。
「兄さん」とは大陸で戦死した二人の長兄だ。この「兄さん」の話になると、父は子供のように泣きじゃくることがあった。叔父もまた、最後の朝まで「兄さん」の写真に手を合わせていたそうだ。父も叔父もいま仏となって、「兄さん」に約70年振りの再会を果たしたことだろう。

ル・クレジオの自転車

↓中平卓馬語辞典からの流れで、中平の近年の写真を批評しているページを探していたら、なぜか、金村修というヒトの文章を目にしてしまった(全文はこちら)。

選択に主語は必要とされない。選択こそが主語を不断に構築しつづけるからだ。・・・(中略)・・・選択的行為は私達の砂漠の本性を剥き出しにさせる。私達の砂漠とはル・クレジオの自転車の走行+女の靴音の響く迷路+砕石道路の割れ目に滲み出る下水+鉄格子の柵+耳をつんざく音響のほぼ完成した沈黙+十五階段+大理石坂のように凝固した冷たい空気と、ポリエステルの匂いが漂う不自然な土砂降りの響きが、正確な尊守すべき目盛、非人間的な遊戯のルールを示している、独自で絶対的な体系をそなえた砂漠のモグラの死から写真は始まる。
主語は必要ないそうだ。確かにこの文章では主語が混乱している(芸大でも作文のリメディアル教育は必要では・・・)。

ところで、「ル・クレジオの自転車の走行」とは何だろうかと(真剣に^^)検索してみたところ・・・ル・クレジオがノーベル文学賞を受賞したときに、大江健三郎は絶賛したが、石原慎太郎は「(あれは)自転車のハンドルの角度を変えてみた程度」と批判したという話が出てきた。これかな?確かに文脈にはあっているけれど、これでは真剣に検索してちょっと損した気分(いや、相当に損した気分だ^^)。

中平卓馬語辞典など

中平卓馬が静かなブームのようだ。昨日ぐうぜん、「中平卓馬語辞典」といったサイトまで出現していることを発見した。いくつか面白い記述があって、たとえば、某大家いわく「ナタの森山(大道)、カミソリの中平」。これはなんとなくわかるような気もしていて、ボクの場合、森山の写真は「港町ブルース」だが、中平の写真から連想されるのは「収容所群島」だったり・・・^^。でも、70歳を越えて老い先短くなってからの「再評価」には、どこかしらの権威筋やメディアの作為を感じてしまう。中平の近作が素晴らしいと若いヒトは言うが、どこがどう面白いのだろう(70年代で終わった人では・・・)。

共通教養科目「経済学」は昨年に引き続き2年目。履修登録者数は昨年の600名から430名まで減少、私語は激減してたいへんに講義しやすい環境になった。でも、なんだか、燃えてこないのよね^^。単に疲れているだけかもしれんけど、大災害のあとでバブルの話なんかしてもウケるわけがない、中井くんの説明(バブル景気・崩壊を日本一わかりやすく解説!)を見てもらって終わりにしたり・・・(墓穴を掘っているような、いろんな意味で)。震災関連の話、いまから準備すれば学期末までになんとか間にあうだろうか。。

耳学問のついでに

先週の火曜日に京都で、仮想化に伴う障害(人災)の増加といった講演を耳学問。その流れで本日は大阪市内でクラウド関連の話を聞いたが、よくよく考えると(考えなくとも)、こういうのは情報センタの技官さんに直接行って学んでもらうべきことだ(ボクが聞いてもせいぜい屁理屈くらいしか出てこない^^)。

帰りに城北公園の菖蒲園へ寄ってみたが、まだまだという感じ、見頃は来週以降かな(今年は不作なのかも)。。

しょうぶ(とても大味な花に思えた件)

びようやなぎ(几帳面?に小ぢんまり、つまらんね^^)

「ブログ閲覧禁止の不毛」というタイトルで、あるアプライアンスサービスのことを書き始めたが、途中で疲れた(というか、開いた口が塞がらず高血圧に悪いので・・・)。概略だけをメモしておく。迂闊にも気づかずにきたが、本学が利用しているWebフィルタは、すべてのブログを閲覧禁止としているようだ。ひどすぎる。これでは、ネットを活用することは許さない、学生が勉強することは禁止と言うに等しい。こんなことを決めたのはいつの時代の情報センタ委員会だよ、もっとマジメにやれ~。

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