義父(妻の父)の葬儀に参列するために鳥取へ。親に(良き先生にも良き先輩にも)心配ばかりをかけてきたボクには、こういうとき「ごめんなさい、ありがとうございました」という言葉しか出てこない。
鳥取といえば、何度も繰り返すが、唱歌「ふるさと」である。そういえば、イル・ディーボが来日公演でこれを歌ったという噂を思い出して、YouTubeで検索してみたところ・・・完璧な日本語、これは素晴らしい(ふるさと)。
車中で、中公新書『経済学に何ができるか』(猪木武徳)を読む。たとえば、豊富なエネルギー供給による豊かな生活を享受しながら、同時にそのエネルギー自体を悪魔の産物と恐怖する「二重思考」。こうした、人々のあいだの、あるいはひとりの人間の内部での価値の相克と分裂を止揚するための何か、首尾一貫した判断のための何かを経済学は提供できるだろうか(というのが、著者の問題意識)。
さいしょに出てくるアダム・スミスやフランク・ナイトからの引用はおもしろい。スミスによると世の中には二種類の人間がいて、自己の欲望のままに富を追求し続ける「弱い人」と、自己を制御して公正で醒めた判断ができる「賢い人」。社会を豊かにする原動力は前者だが、健全で公正な社会の建設には後者が必要とスミスは言う。それをうけてナイトは、人間の「知性」でもって民主主義の政治過程をいかに健全に機能させるか、ここに最も困難な現代社会の問題が存在すると語った。しかるに、現代経済学がこれまでに想定してきた人間類型は・・・という展開。