春先から(昨年秋から^^)懸案の補助金申請、水曜日に(成功裏に)決着。これだけ長引いた今回の件、時間を浪費して得られた教訓は、申請書や願い書の類はとっかかりの書き方が大切、ということかな。
この案件に限らず、学内の問題を考える際に、ボクの場合、どうしても経済学的に?アプローチしてしまう傾向があるんだけど、これは良いことなのか悪いことなのか・・・。たとえば、大学院に関わる最近の案件で、こんな問題。
ある年の春学期4月に研究生となった留学生がいるとして、
(A) その年の秋学期から大学院生となる
(B) 翌年の春学期から大学院生となる
の二つの選択肢を比較して、あえて(B)を選ぶ人はいるだろうか。
(B)を選ぶと、半年間の研究生学費14万円(+半年間の生活費)が余計な負担になる。しかし、秋学期入学はまだ日本では定着しておらず、学外の奨学金制度などが完全に対応できていない現状があり、(A) を選ぶと、大学院在籍中(二年間)のうち、奨学金を一年分しか受給できない。
学外奨学金の月額を S 万円として採用確率を p とすると、12Sp < 24Sp-14 のときに、あえて(B)が選択されるはず。この条件は、1.1666666 < Sp のときに満たされる。たとえば、10万円の奨学金が10%の確率でもらえるときには満たされず、12万円の奨学金が10%の確率でもらえるときには満たされる。つまり、留学生にとっては、あえて(B)を選ぶ誘因はほとんどないだろう。
だから、秋学期入学制度を導入して、研究生制度は半年単位にすればよいのだ。一年も「飼い殺し」にすれば、たしかに大学側の収益は増えるが、それに見合う教育体制を整えるコストも発生する。いいかげんな教育体制ではマズいし、ほんとうにちゃんとした教育体制を整えたならば、その追加教育を受けた留学生は他の大学院に逃げていくだろう。これがボクの主張なんだけどね。
ところで、一日に講義4コマというのは、やっぱり、かなりキツい。昨日は、3時間目の「経済学」で熱弁しすぎて体力を消耗、4限目と5限目はほとんどヘロヘロ。熱弁したお題は「財政政策の効果」。前半はマンデル=フレミング・モデル(のグラフ版)で正統の経済学を講義していたんだけど、財政政策にはまったく効果がないというシミュレーション結果を紹介したあとに、財政赤字の話を出したのがまずかった。土建国家やら財政破綻やらと、脱線しまくり。5限終了後に数名の学生が「おつかれさま」と声をかけてくれて、あぁ木曜が終わったと感慨にふける。熱心に耳を傾けてくれる受講生にホントに感謝したい今日このごろ^^。