昨日と今日、二日間をかけて、大学基準協会の査察があった。学外の権威ある第三者機関が、各大学のあらゆる側面を微に入り細にわたって点検評価する、7年に1度のイベント。まぁ、お奉行様に白洲で取り調べをうけるようなもの(というと、ちょっと大げさ^^)。
それで、大学院のあり方に関する、お奉行様(学外審査委員)の「意見」がどうにも解せなかったので、一研究科長としての反論を準備していた。「取り調べ」は平穏に進行し、反論をあえて申し述べることも無かったんだけれど、あとで思うに、この「意見」が最終的な「お裁き」に反映されるかもしれない。そのときのために、いちばん気になった点をメモしておこう。
この「意見」の骨子はありふれたもので、要するに、「積み上げ方式で体系的なカリキュラム構成をめざせ」ということ。それは誰しも承知しているが、トップクラスの研究者養成大学でもあるまいし、単純にはいかないから、どこの大学でも苦心惨憺を重ねているのだが・・・。
しかし、なにより解せないのは「コンプリヘンシブ試験の実施を検討せよ」という指摘だ。
「コンプリヘンシブ試験」とは、カナダやアメリカの一部の大学で、一貫制の ph.D コースでのみ実施されている「中間試験」のようなものらしい(WikiPedia英語版の Comprehensive Examination)。日本ではこんな用語は使われない。海外のごく一部で使用されている用語を、さも普遍的なものであるかのように(なんの具体的な説明も根拠資料も無しに)使う神経を疑う。
日本では、中教審大学院部会が提唱した「博士課程研究基礎力試験(Qualifying Examination、QE)」が平成24年文部科学省令第6号に盛り込まれている。博士課程へ進学する院生には、修士論文の提出を免除して、そのかわりに筆記試験を課せというもの。この趣旨は、修士課程のうちから「狭い専門」に閉じこもらず、広く深く、研究者としての基礎力を涵養せよということだそうだ。しかし、もし(お奉行様の言う)「コンプリヘンシブ試験」がこれを指しているとしても、やはり、お門違いだろう。
うちの大学院は「税理士コース」と「アカデミックコース」の2コースに分かれているが、まず「税理士コース」については、税理士試験の一部科目免除を得るために、修士論文を執筆しそれを国税審議会に提出することが最終目標となる。つまり、修士論文は必須で、税理士コースから博士課程への進学者はまず存在しない。
「アカデミックコース」については、本研究科の場合、研究者養成および高度職業人養成という両様のポリシーにそって、両様の学生が在籍しており、院生間の学力格差が大きい。つまり(少数の)提携校からの留学生や日本人院生は研究者を目指す意志と素養を有するが、多数をしめる私費留学生の場合には日本で修士号を得て日中ビジネスに関わる企業へ就職することが目的となる。だから、統一的なカリキュラムで前者向けの研究者養成体制に特化することはできない。必要最低限の必修科目を設置して、高度な内容は個別対応とならざるをえない(この個別対応こそ少人数大学院のメリットのはず)。また、本学の場合、修士課程を終えた後に、他大学(国公立大学)の博士後期課程へ進学する者も少なくないので、受入先のすべての博士後期課程でそういう(修論免除の)体制がとられないかぎり、本学が先に採用するわけにはいかない。
そもそも、本学修了生が、トップクラスの大学院修了生に伍するためには、むしろ、修士課程のできるだけ早い段階から「狭い専門」に特化する必要があると思う。高度で難解な汎用的数理的手法に関してはトップランク出身者には勝てないけれど、当該分野の制度や歴史の細部については誰よりも詳しい、あるいは特定の思想家や理論家については誰よりも詳しい、そういうスペシャリストを目指すべきではないかと私は思う。
今回のお奉行様は国立大学の老教授だった。私学の事情がよく理解されなかった気がする。
ps. 大学院に関しては、他にも言いたいこと書きたいことが山ほどある(まぁ研究科長をつとめたのだから当たり前だけど^^)。公的な立場が変わったら、いずれ、ぼちぼちと・・・。