「全てを疑え」とはマルクスの名言(らしい?マルクス名言集、むしろ冒頭の経哲草稿からの(チョットおかしい)引用が懐かしいけれど)。文字通り(この字面そのままに^^)、この季節にはとりわけ、私の内なる性悪論者の本性が露骨になって、まわりに辟易とされている^^。
この季節とは、留学生のビザ更新の季節。とりわけアジアの某国から大量に流れ込んでくる留学生たちの拝金主義、法の抜け穴や他人の温情鈍感に付け入ろうとする貪欲な態度を目の当たりにすると、自分が憎まれ役になって、この愚かしい現状をなんとか改革せねばならないという使命感に駆り立てられるのだ^^。
これまでの経験から、彼らの平均学力は、本学の日本人学部学生より劣るだろうと推測している(もちろん個体差はあるけれど、まれに、中学レベルの算数や英語すらおぼつかない者も)。にもかかわらず、日本の大学は、彼らに対して寛大である。彼らは、多額の給与奨学金(返済しなくてもよい奨学金)を大学や諸団体からかき集め、学費免除の恩恵にもあずかりながら、さらにビザの制限時間を超える「不法就労」でカネを稼いでいる(者もなかにはいる)。
いっぽうで、この国は、日本人学生つまり自分の子供たちには、あまりにも冷たい。多くの場合、日本人大学院生には貸与奨学金(将来に利息付きで返済せねばならない奨学金)の枠しかなく、学費免除のチャンスも無い。優秀でひたむきな学生が就活に苦しんでいる姿をみると、大学院に進んで実力で世間を見返してやれとも言いたくなるが、この現状ではムリだ。
某国からの留学生たちの多くは、カタコトの英語も話せないうえに、日本人学生との交流もほとんどない。つまり、「留学生」としての本来の使用価値がない。流ちょうな英語を話し、アクティブで、見た目も異質な(キャンパスに華をそえる)欧米からの留学生たちとはまったく対照的だ。卒業式で修士・博士学位が授与されるが、日本人学生たちは、そのときにはじめて、本学の大学院修了者の大半が某国からの留学生であることを知る。そして、素直な日本人学生たちは、「やっぱり、○○人って、頭がいいんですねぇ」と感嘆の声をあげる。バカバカしいったらありゃしない^^