要素価格均等化

雑用で数年ぶりに学内某センターを訪れ、幹部職員と話し込む。雑談を終えて帰ろうとしたところで、数年前のゼミ生とバッタリ出くわした。聞けば、彼も卒業以来はじめて、数年ぶりに大学に来たらしい。近くの喫茶店でしばらく話しこみ、再会を約束して別れた。
彼とは、毎週のように喫煙コーナーで憂国談義をかわしたものだった。実は、この3月にある女子学生を送り出してから寂しくて仕方なかったのだ^^。彼女とたちかわりに、彼がふたたび現れたのは、なにかの導きだろうか。。

賃下げ問題で揺れる昨今、「あなたのお考えは?」と問われることが増えた。ボクは愚直な人間なので、経済学の授業で語っていることがそのままボクの本音、つまり、(ミクロ的には)賃金は限界生産力で決まるものだろうと思うし、(マクロ的には)要素価格均等化すなわちデフレ圧力は今後も不可避で、社会全体の格差が拡大するなかで賃上げなどをできる会社はごくごく一握りだろうとも思うんだけれど(そんな本音をストレートに伝えるわけにもいかず・・・^^)。

先日、20年ぶりに組合の団交に参加してみたんだけれど、組合側幹部の「生活を守るために賃下げに抵抗する」という発言に辟易とした。たしかに労組の常套句、でも、(少なくともボクの)腑には落ちない。なぜなら、当然のことながら、誰にでも「生活」はあるのだから。そして、誰かの生活を守ることは、往々にして、他の誰かの生活を脅かすことになる。教員に生活があるように、学生にも保護者にも生活がある。さらに専任の生活と非常勤の生活、あるいは中高年教員の近視眼と若手教員の長期展望、一律平等の給与体系、職員給与と教員給与の適正比率などなど、この問題の背後にはいろんな対立軸が隠れているように思う。限りある資源の公正な配分は経済学の究極のテーマ、経済学徒ならば冷静に考えてみたいところだ。

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このページは、eiichiが2015年6月14日 17:35に書いたブログ記事です。

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