懐メロ居酒屋、絶筆

門戸厄神にて家族全員の健康を祈願した後、梅田に戻って、東通りの「半兵ヱ」に行ってみる。懐メロが聞きたいのに、隣の客がうるさくてどうしようもない。開店直後の夕刻、座敷にはまだ我々と彼らだけなのに、けっこうな音量で流れている懐メロのBGMに負けじと大声を出してくるものだから、ほとんどワケのわからない(耳を覆いたくなるような)狂気の世界^^。若い男が二人連れでこんな店に来るなよ。いや、来るのはいいけれど、もうちょっと静かに語り合ってくれ。私にとって、戦中戦後の懐メロは、西欧近代のクラシックに匹敵する神聖な音楽^^。あんたらもクラシック喫茶では大声を出さないでしょ・・・などというようなことを言えるわけもなく、そそくさと勘定をすませて退散^^。

行き帰りの電車の中などで、百田尚樹「この名曲が凄すぎる」を流し読み。名曲の背景や聴きどころ、それから「クラシック通を気取るスノッブ」への痛烈な批判。「至高の音楽」に次いで、こちらもとても面白い。

百田は最晩年のモーツァルトの作品を「澄み切った悲しみ」と形容している。まぁこの表現はともかく、死の年(1792年)にモーツァルトが作曲したものは、ピアノ協奏曲第27番K595から、絶筆となった未完のレクイエムK626まで(モーツァルト楽曲一覧WikiPedia、ボクはこれらすべてを聴くためにモーツァルト大全集をレンタルしたことがある^^)。しかし、百田(が紹介している最近の研究)によると、未完の絶筆はもうひとつ存在した。「ホルン協奏曲第1番K412+K514」。ホルン協奏曲は第1番から第4番まであって、第1番のケッヘル番号は412+514、つまり、ケッヘル博士はこの第1番の第一楽章を1782年作、第二楽章を1787年作とした。それなのに、なぜこれが(第2番から第4番をとびこえて、いきなり)1792年作の絶筆と判明したのか。研究者たちの謎解きの過程には楽譜紙のX線解析までとびだしてきて、とてもスリリング(ただし、決め手となった証拠じたいはきわめて単純なものだった。「ホルン協奏曲 エレミアの哀歌」等で検索すると、解説が見つかる。たとえば こちら)。

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このページは、eiichiが2016年2月22日 01:46に書いたブログ記事です。

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