SNSでたまたま見かけた某経済学者の論考。「目から鱗」という前振りにつられて読んでみたが、なんの意味があるのか不明。いやきっと、私なんぞにはわからない深遠な含意があるのだろうとすておいていたのだが・・・先日ふと、同僚の年輩の先生にも紹介してみたところ「経済学部一回生が犯す誤りだろう」との即答を得て、すこし安心^^。
そのときに、格差や社会正義の話ならこちらが面白いと教わったのが、『ミクロ経済学の力』という本。
この最終章(前半部)を手短にまとめると・・・
思いやりや協調を旨とする「共同体の論理」は、家族や小さな集団といった、「顔の見える人どうしの助け合い」には有効。しかし、それを一国全体に拡げようとして、社会主義は失敗した。「顔の見えない多数の人どうしの助け合い」には「市場の論理」を使うほうがうまくいく。どんな思想に立つにせよ、自己利益の追求(ただしフェアな競争)を旨とする「市場の論理」に依拠せざるをえないというのが、「20世紀の貴重な教訓」。
しかるに、わが国では未だに、共同体の価値観(自己利益追求への嫌悪、競争よりも協調といったスローガン)にのみこだわって社会問題を論じる人が多い。市場における自己利益の追求が社会全体の助け合いの成果(総余剰)を最大化するという「市場の論理」(「エコノミック・リテラシー」)を理解できない人が多い。そして、こういう人たちが言論界や政策決定の場で大きな影響力を持っていることが、現代日本の(思想的状況における)大きな問題だ。
たしかに面白いが、私的には以下の素朴な疑問も・・・
「市場の論理を使うほうがうまくいく」というのは、たしかに「20世紀の貴重な教訓」。しかし、たとえばピケティ『21世紀の資本』によると、20世紀(第二次世界大戦後)は(人類の歴史のなかで唯一)経済成長と所得分配の公平化が両立した時期。20世紀の教訓はどこまで一般化できるのだろうか。
それから、著者によると、親の職業と子の職業の関係をあらわすマトリクス(医者の親から生まれた子供のうち、何%くらいが医者になるか、何%くらいが大企業サラリーマンになるか、といった表)は、3世代くらいを経ると(ひ孫の世代までいくと)ほとんど「定常状態」になり、先祖の職業がなんであったかは、子孫の職業にはまったく影響しなくなるという。この数学命題を援用して、著者は、ロールズ正義論の「無知のヴェール」に新たな解釈を与えているのだけれど・・・。
プライベートであたふたが続くなかで、久しぶりにこんなことを考える機会があった。学者の存在は偉大。